祈り
――――それは、たった一つだけ、願ったこと――――
…苦しい。
どうしてこんなに苦しんだろう。
なんで俺は走っているんだろう。
どこに向かっているんだろう。
よくわからないけど、何か、とてつもなく大きな不安があって、その為に走っている。
それを止めたいから、走っている。
これは何だろう、夢? 幻?
そうして俺が行き着いた先には
いつも穏やかな顔をして笑ってくれる茶色の髪の少女と
愛しい黒髪の少女の血に濡れた姿があった―――――
「…なん、で……?」
震えが止まらない、歯ががちがちといって五月蠅い、瞳孔はぱっくりと開いてると思う。
「何で、何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で!」
あんな夢、見たんだよ…
その言葉を心の奥にしまって、ただ、泣く。
全てを心の奥にしまって、ただ、泣く。
「明日、どんな顔して学校に行けばいいんだよ…」
舞と佐祐理さんを前にして、いつも、なんてできない。
こんなモノを見て、俺は普通どおりに出来ない。
でも、心配させたくないから、行かなきゃいけない。
時計を見ると、今はちょうど午前7時。
もう一眠りしたいけど、もう、眠れない。
もう一度あんな夢を見てしまったら、俺はもう何も出来なくなってしまうから。
何も出来なくなってしまったらみんなが悲しむ。
だから、俺は眠らない。
目覚まし時計が鳴るまで、俺はただ、ひたすら泣き続けた。
「…まだ、マシかな?」
鏡で自分の顔を見て、俺はそう呟く。
ただ目が真っ赤になってるだけで、瞼が腫れているとかいうことにはなってないみたいだ。
「これなら誤魔化せるな」
「何を誤魔化すんですか? 祐一さん」
後ろから、声が聞こえた。
「あ、おはようございます。秋子さん」
いつもどおりを装って、俺は秋子さんに挨拶する。
「はい、おはようございます、祐一さん。今日は早いんですね」
「ええ、なんだか目が冴えてしまったようです。」
無難にそんなことを言ってみる。まぁ、嘘は言ってないから大丈夫だろ。
「そうですか…」
そうして俺は秋子さんの前から立ち去る。
これ以上、何かを言われたくないから。
「祐一さん、今日、学校お休みしても良いんですよ?」
ひかえめに、秋子さんはそう言ってくる。
…秋子さん、そんな選択肢は、俺にはないんです。
「行きますよ。何で寝不足くらいで学校を休まなきゃいけないんですか?」
――――心配かけたく、ないから――――
俺は朝食もとらずに、外に出る。
「いってらっしゃい、祐一さん。名雪には言っておきますから」
「…ありがとうございます、秋子さん。いってきます」
こんな時の秋子さんの心遣いには本当にありがたい。
実際、今、名雪と出たらちょっと厳しい。
そうして、俺は外に出た。
やっぱり、外は寒い。
1月の中旬だから、寒いのは当たり前だ。
でも、もう慣れてしまったこの寒さの中、俺は学校へと向かう。
…どうして
どうして、あんな夢を見てしまったんだろう。
この寒さで冷静になった頭でそう考えてみる。
夢っていうのは、自分が何処かで記憶していたことを現すっていうけど、それはまずない。
俺は舞のあんな姿を、見たことがない。
それと、夢は自分の願望を現すそうだ。
そう考えると、俺は鳥肌が立った。
そんなこと考えたりしないっ! 考えたくもないっ!
ましてやそれが俺自身の望みだなんて、絶対にないっ!!
それと、…もう一つ。
これは非現実的だけど、一番希望的観測。
予知夢。
これから起こることを夢で見るということ。
…これを信じてみよう。そうしたら、なんとなく希望が見いだせそうだから
今までの授業も全部無視して、俺は4時間目が終わると、屋上の踊り場へと真っ先に向かった。
もちろん、購買でパンを買うのをお忘れなく。
…どんな顔をしていけばいいんだろう。
ふっと、心の底からそんな声が聞こえた。
…今、自分がどんな顔をしているかわからない。
だから、もし物凄い顔だったらどうしよう。
俺は行かない方がいいんじゃないか?
行って、心配されるのは、嫌だ。
…それでも、行かなきゃいけないと、思うから。
俺が来なかったらそれこそ二人が悲しむ。
だから、行かなきゃいけないんだ。
俺は決意を固め、屋上の踊り場へと足を運んだ。
「あ、祐一さん」
「…祐一」
二人は用意しながら、俺の方を向いて俺の名を呼んだ。
「…なぁ、舞、佐祐理さん。俺の顔、変じゃないか?」
開口一番、俺はそう尋ねた。
「え? そうですか? 祐一さんはいつものままですよ。」
「どこもおかしくない、祐一は祐一」
二人は揃ってそう言ってくれた。
ああ、そうか…
別に、俺があんな夢を見たって、世界は何にも変わらないんだ。
こうやって、穏やかなまんまなんだ。
そう思うと、ひどく、安心した。
「どうかしたんですか? 祐一さん」
「…何か、あった?」
やっぱり、こんな事を聞いたから心配させたみたいだ。
「いーや、聞いてみただけ。さ、食べようか、舞、佐祐理さん」
そういって、俺は微笑んだ。
何年ぶりか、そう感じるほど長く笑ってなかったようだった。
「はい、食べましょうね」
俺の言葉に佐祐理さんはそう言い、舞は頷く。
そう、世界はいつもどおり。
だから、今はこの穏やかな流れにひたっていよう。
――――ただ、祈ろう。
――――俺には、祈ることしかできないから。
――――この穏やかな流れが、消え失せないことを
――――そして、あの夢のようにならないことを
――――今はただ、祈ろう。
end.
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