カツ カツ カツ

 石造りの廊下を歩く。

 千年城。かつては真白く、ある日荒廃し、そして緩やかに命を取り戻そうとした城。

 しかしそれは叶わず、今また赤い錆びた風景を宿している。

 聖堂の扉を開く。凍りついたような静けさ。 四方からは幾百もの鎖が伸び玉座へと収束される。

 玉座という名の牢獄には1つの影。  

 ――――――それは我が愛しき眠り姫。

「・・・・・・・・・アルクェイド」

 白い頬に手を重ねる。  

 ――――――なんてツメタイ。

 眼に浮かぶのは無邪気な笑顔。太陽のように眩しい愛しき人。

 眼に映るのは虚ろな器。夢でしか生きられない哀しき姫。

「すぐに戻るから・・・・・・・・・」

 そっと口付けを交わす。
 それはともすれば別離とも変わり得る約束。
 
 振り返り俺は扉を開く。
 目指す先は黒い森。
 赤い血が巡るあの森へ、ただ彼女を救うために歩き出す――――――。









【彼は如何にして黒い森へと足を踏み入れる事となったか】















 ――――――それは唐突にやってきた。

「志貴、ここでお別れにしよう」

 何を考えたか急に城に戻りたいと言い出したアルクェイド。
 連れられた城の聖堂で彼女は言った。

 ・・・・・・しばらく、何を言われたか分からなかった。

「・・・・・・・・・何を言ってるんだ、アルクェイド?」

 戸惑いを隠せない表情で言う俺にアルクェイドは笑いかける。
 いつもの無邪気な、太陽の日差しのような笑みとは違う。
 喩えるなら、それは月光のような静かな笑み。

「志貴と過ごした時間は本当に楽しかった。
 世界にこんな楽しい時間があるなんてわたしは全然知らなかった。
 もっと志貴と一緒に居たいけど・・・・・・・・・どうやらもう限界みたいなの」

 ――――ワカラナイ。

 アルクェイドの言ってる事を俺は理解できる。
 寿命というものを持たない真祖の寿命。
 自らを律する為に永遠の眠りにつくとき。

 でも――――

「どうしてっ!? 昨日まではなんとも無かったじゃないか!!
 どうして急に・・・・・・・・・・・・」

 アルクェイドは俺の言葉には応えず、ちょっと困った様に笑う。

「本当は志貴に殺して欲しいんだけど・・・・・・・・・志貴は嫌でしょ?
 だからわたしはここで志貴の夢を見ながら眠るね」

 そしてにっこりと、本当に嬉しそうな笑顔でそんな事をのたまう。

 ああ、何て――――――――何て、哀しい笑顔。

 ――――許さない。

「それじゃあね、志貴。
 わたしが居なくなっても元気でやるんだよ?」

 ジャラジャラジャラ――――

 周りから幾つもの鎖が伸びてアルクェイドの躯に巻きついていく。

 ――――こんな唐突に、何も出来ずに、する暇も無く。

 玉座に座り、アルクェイドはゆっくりと瞼を閉じようとする。

 ――――許さない!

 刹那。

 カァァァァァァン

 聖堂に甲高い音が響く。
 俺が振るったナイフの一閃によって、アルクェイドを拘束しようとする鎖は全て断ち切られる。

「――――――志貴っ!?」

 アルクェイドの瞳が開く。

「許さない。こんな、何もせずに、何も出来ずに。昨日までは普通に笑ってたのに!
 絶対に何か方法がある。何もせずにただ永遠に別れるなんて俺は認めない!!」

 感情を吐露する。理屈も道理も何も無い。ただ自らの感情のままに彼女の行動を阻止した。

 彼女の顔が悲しみに揺らぐ。

「志貴・・・・・・お願い、本当にもう限界なの。
 わたしは『堕ち』たくない。今のままで貴方の中に残りたいの。
 だから・・・・・・・・・・・」

 それは何て残酷な願い。
 俺に、一生アルクェイドの残影を見て過ごせというのか。

 頭に浮かぶその光景。
 それは、哀しく、無様で、救いの無い、最早『壊れる』以外に出口の無い。
 ――――――何て、最悪の、結末。

 そして、それは彼女にも言える事。
 永遠を夢の中で過ごす。
 どこまでも虚構に彩られた、幻想という名の幸せ。

 ――――認めない。

 そんなものは認めない。
 俺は抗う、可能性の一片までも。

 だから言う。
 全てを一言に。
 ただ彼女と共に居る為に。

「アルクェイド・・・・・・大丈夫、俺が居るから」

「――――――」

 つ、とアルクェイドの頬に一筋の跡が出来る。

「もう・・・・・・酷いなぁ、志貴は。
 せっかく笑ってさよならしようと思ったのに台無しだよ」

 そう言って彼女はいつもの、あの眩しい笑顔を見せてくれる。

「当たり前だ。さよならなんてさせるもんか。
 俺はお前を殺した責任をとらなくちゃいけないんだからな」

 俺はアルクェイドに負けないような笑みを返す。
 
 そうだ、責任は果たさなくちゃいけない。
 俺はアルクェイドにもっと楽しい事があるって教えなくちゃならない。
 両手で抱えきれないくらいに、それこそ、もううんざりだっていうくらいに。

 俺の言葉にアルクェイドは微笑む。

「まいったなぁ・・・・・・・・・・・・本当に責任とって貰うわよ?」

 眩しい笑顔と共に、意地悪そうにそう言う。

 そんな事は望む所というものだ。

「まかせろ、これ以上無いってくらいにとってやるよ」

 そうしてアルクェイドに手を伸ばそうとして――――――






「じゃあ、ちゃんとわたしを殺してね、志貴?」

 ――――――世界が/反転/した。






 俺は反射的に後ろに跳び退いていた。

 どくん どくん どくん

 心臓が早鐘を打ち鳴らす。
 それは本能が告げる警告。

「アル・・・・・・クェ・・・イド?」

 俯いた彼女の顔からのぞくモノは、

 血のように紅い眼と、

 凍てつくような――――――――金の、瞳。

「――――――――!?」

 その眼に視射られた瞬間、『遠野志貴』という世界が崩壊する錯覚に襲われた。

 そして流れ込んでくる。
 紅いモノ。
 紅い言葉。
 紅い――――思考。
 それはアルクェイドの――――――

 『苦シイ』
 『咽ガ乾ク』
 『飲ミタイ』
 『アレヲ引キズリ出シテ、溢レダス鮮血を全身ニ浴ビタイ』
 『腕ヲ千切リ、足ヲ潰シ、腹ヲ引キ裂キ、咽ヲ喰イ破ッテ、頭ヲ割ッテ』
 『アノ魂ヲソノ一片マデモ手ニ入レタイ』
 『壊シ、犯シ、蹂躙シ、血モ肉モ意思モ知恵モ尊厳モ霊モ業モ、全テ全テ全テ全テ全テ全テ全テ全テヲ――――――――!!』

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 何も考えられず。
 ただ、それから逃げようとして俺は走り出した。






「はぁ、はぁ、はぁ――――!!」 

 怖い。
 耐えられない。
 人間という器には収まらない。
 なんて大きな――――――純粋な、恐怖。

 彼女が近づいてくるのが分かる。
 ゆっくり。
 ゆっくり。
 獲物を追い詰めるのを楽しむかのように。

 はぁ はぁ はぁ

 荒い息を抱えて必死に逃げる。
 何も考えられない。
 何もワカラナイ。
 ――――ただアレから逃れたくて足を動かした。

 『まいったなぁ・・・・・・・・・・・・本当に責任とって貰うわよ?』

 ――――――唐突に。
 俺の中に彼女の言葉が蘇った、

 ぴた

 俺の足が止まる。
 本能が逃げろ逃げろと騒ぎ立てるが、そんなものは何の意味も成さない。

 ――――――そうだ、俺は。

 ジャリ

 足音に振り向く。振り返った先には月下に狂う白い姫。

 ――――――俺は責任をとらなければ。

 月光に煌く澄んだ湖。
 風一つ吹かない静寂した闇の只中で。

 シュル――――――

 俺は静かに、自らの眼を覆う呪帯を外した。






 ゆらぁ

 アルクェイドの背後の空間が揺らぐ。
 金色の瞳が輝き、目の前の空間が無秩序に崩れ去っていく――――――。

 ザンッ――――――

 しかしながら俺の放ったナイフの一撃により全ては水泡に帰す。

 目の前で起こるその『事象』を殺した。
 1年前には出来なかった事。
 数段にその力を増した直死の魔眼だからこそ出来得る回避方法。

 だが、幾ら空想具現化を防げてもこちらから攻撃出来なければ意味は無い。
 戦況は消耗戦へと変わり無尽蔵に力を得るアルクェイドに俺は殺される。

 この状況を打破する為に必要なものは――――――

 幾度目かのアルクェイドの攻撃。

 それを迎撃せずに全力でその場を離脱する。

 ドガァァァァァァ――――――

 俺が数瞬前まで居た場所が丸ごと抉り取られる。
 その土煙に紛れ、近くの木の上に姿を隠した。
 
 ――――――息を潜める。
 思考を落ち着かせ行動を組み立てる。
 次の行動の為に辺りに視線を這わす。

 アルクェイドは完全に俺を見失い、視線だけを動かし俺を探す。

 俺は視線を外しアレを探す。

 瞬間――――――

 ドガァァァァァァァァァァァ――――――

 ――――――アルクェイドを中心に周囲の空間が数十メートルに渡って吹き飛ぶ。

「――――――――――なっ!?」

 岩も、地面も、俺が居た木も、全てが吹き飛び塵になる。

 ――――――もうもうと立ち込める煙の中に佇むのは、呆然とその眼を見開く殺人貴。

 ぞく――――――

 思考よりも先に躯が反応した。
 咄嗟にナイフをかざしその一撃を受け流し――――――

 ドガッ

「がっ――――――!?」

 俺の躯が吹き飛ぶ。

 ――――――これが、堕ちた真祖の――――

 完全に受け止め、受け流したにも拘らず。
 僅かに残った衝撃だけで吹き飛んだ。

 一瞬遅れてアルクェイドが俺を追いかける。
 確実に、無慈悲に、残酷に。
 それは獲物を仕留めるべく狙いを研ぎ澄ます、獣の気配。

 だが――――――

「終わりだ、アルクェイド」

 空中で躯を反転させて、眼下に広がる湖を見据える。

 アルクェイドが迫る、が、俺の方が早い。

 湖面に浮かぶ黒い点。

 そこに
 ナイフの刃が
 吸い込まれた――――――。

 バシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――

 水が、空へ、駆けた。

 湖という名を失った大量の水が、飛沫となって弾け跳ぶ。

 ザァァァァァァァァァァァァァァァ――――――

 姿も
 音も
 匂いも
 気配さえも
 大量の雨煙が全てをかき消す。

 そのカーテンに隠れてアルクェイドに近づく。

 彼女が気づく前に、
 その足元。地面に浮かぶ巨大な『点』を突いた。

 ――――ガゴンッ!!

 世界がズレル。この辺り一帯の空間が『死』んだ。

「――――――!?」

 アルクェイドが振り返る。
 が、それより先に返す刃でアルクェイドを切り裂いた。

 ぼとり――――

 アルクェイドの右肘から先と、右太腿より下が地面に落ちる。

「ア・・・・・・ア、ア・・・アァァァァァァ・・・・・・・・・!!」

 アルクェイドが崩れ落ち、もがく。
 不死である筈の身が自らの流した血に塗れる。

 自らの不死が
 絶対の法則が
 不可侵の領域が
 それが破られた事に恐怖し、狂ったようにもがき続ける。

「アルクェイド・・・・・・アルクェイド・・・・・・・・・」

 呼びかけ続ける。
 ・・・・・・・・・・・・応えない。

 アルクェイドの肩を押さえつけ、その眼を見つめる。
 焦点の合わない、虚ろな瞳。

「――――アルクェイドっ!!」

「・・・・・・・・・志・・・・・・貴・・・・・・・・・・・・・・・?」

 『紅い』瞳に焦点が戻る。

 自分の状況を見て、つぶやく。

「そっか・・・・・・殺してくれなかったのね。
 酷いなぁ・・・・・・・・・・・・責任、とってくれるって、言ったのに・・・・・・」

 その言葉に、本気で頭に来た。

「馬鹿やろうっ!!」

「わっ! ・・・・・・・・・急にどうしたの、志貴?」

 こいつは・・・・・・・・・本気で言ってるのか?

「どうしたも何もあるかっ!!
 『ちゃんと殺して』なんてふざけた事言いやがって・・・・・・!!
 そんな事・・・・・・・・・出来るわけない、だろうがっ・・・・・・・・・・・・・・・」

 気付くと、俺の眼からは止め処も無く涙が溢れていた。

 そっと、白い手が俺の頬に添えられる。

「志貴は泣き虫だね・・・・・・・・・。
 でも良かった・・・・・・・・・志貴が死んでなくて」

 アルクェイドが穏やかに微笑む。
 それが堪らなく嬉しくて。

「馬鹿・・・・・・・・・お前を残していなくなるわけ無いだろうがっ・・・・・・」

 堰が壊れたように涙は止まろうとしなかった。





 ――――――一頻り泣いた後。

「志貴、わたし貴方の事信じてみたい」

 その一言が嬉しくて、また涙が溢れそうになる。

「だから、しばらくわたしは眠るね」

 ――――――え? でもそれは――――

 俺の疑問に応えるようにアルクェイドが微笑む。

「大丈夫、本当に『眠る』訳じゃないから。
 志貴がわたしを何とかする方法が見つかったら起こして。
 楽しみだな・・・・・・・・・今度目覚める時に最初に見るのは志貴の顔なんだもの」

 ね、とアルクェイドが楽しそうに笑う。

 その笑顔を見やって、アルクェイドを抱き上げる。

「わわっ!? ・・・・・・・・・志貴?」

「動けないだろ、アルクェイド?
 俺が連れて行ってやるよ、お姫さま」

「・・・・・・・・・うん・・・・・・」

 アルクェイドが真っ赤になって俯く。
 それが何だか凄く、微笑ましいというか、可愛いというか。
 ・・・・・・・・・とにかくそんな風に感じて、思わずアルクェイドの甘い唇に吸い寄せられた。
 アルクェイドが照れたような、嬉しいような、はにかんだ笑みを返してくれる。

 そうして俺とアルクェイドはしばしの別れについた――――――。






 ――――――そして僅かな時が流れる。
 噴水の前のベンチに座り、今日も俺は流れる水を見続ける。

「そんな所で何をしている、殺人貴」

 気付くと、傍にはいかにも厳ついといった感じの老人が立っていた。

「じいさんか・・・・・・・・・・・・どうしたんだ?」

 俺が眼だけをやって尋ねると、老人は音が出るほどに大きく溜息をつく。

「儂の名前はゼルレッチだと前に言っただろう。
 ・・・・・・・・・まあ、そんな事はどうでもいい。貴様、いつまで姫さまを放って置く気だ」

 その言葉に苛立つ。

 俺だって何とかしたい、早くアルクェイドの笑顔を見たい。
 だけど――――――

 俺の様子を黙って見つめていたじいさんが口を開く。

「先日、ドイツの一角に腑海林の発生が確認された」

「ふかいりん・・・・・・・・・?
 それが一体・・・・・・・・・・・・」

「いいから聞け。その黒い森の中心、腑海林アインナッシュの本体に一つの実が生っている。
 その真紅の林檎があれば姫は今再びしばしの時間を生きる事が出来る」

 ――――――な、に――?

「・・・・・・・・・本当なのか、それは?」

「こと姫さまに関わる事で嘘などつかんよ」

 確かに最もだ、しかし――――――

「なら、何故あんた自身がそれを採りに行かない」

 じいさんは舌打ちし、

「出来るものならとっくにやっておるわ。
 だがあの森は儂のような魔術師とは致命的に相性が悪い。
 姫さまの為ならこの命など惜しくは無い、しかし意味も無く自らの命を捨て去る趣味は無い」

 忌々しげにそう吐き捨てる。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 立ち上がる。

「・・・・・・行くのか?」

「ああ・・・・・・あんたがそれを俺に話したって事は、俺ならそれを採って来れる可能性があるという事だろう?」

 老人は応えない。

「・・・・・・・・・アルクェイドの顔を見ていかなくていいのか?」

 老人はふっ、と笑い。

「生憎だが眠る姫さまの顔を見るのは忍びないのでな。
 お前が姫さまを目覚めさせた後でまた立ち寄るとする」

 その言葉に俺も笑みを零す。

「そうか。せいぜい期待して待っててくれ」

「ふっ・・・・・・・・・そう出来ればいいがな」

 そうして老人は歩き出す。

 そして俺も聖堂へ向かう。
 彼女と再会の約束を交わす為に。

 煌々と降り注ぐ蒼白いツキノヒカリ。
 かくて物語は次なる語り部へと引き継がれる――――――。






<了>





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