MEMORY RAPSE

〜後章〜   記憶の忘却






気がつけば花穂はそこにいた。

「ここ…どこ…?真っ暗…。」

まだ意識は半ば朦朧としている。そんな意識ではいけないと思い、はっきりとさせるために記憶をたどってゆく。

たしか自分はみんなや兄と一緒にいたはずだ。しかも自分は兄の隣に座って……。

「あれ?そういえば…お兄ちゃまは……?」

兄がいない。花穂の頭はそこではっきりと目を覚ました。たしかにさっきまで兄と一緒にいたはずだ。

兄の隣で座っていた感覚がまだ残っている。なのに今はその兄の姿がない。

「お兄ちゃま!お兄ちゃまどこにいるの!?」

花穂はできる限りの声で兄を呼んだ。だがどこからも返事はない。かわりに自分の声が返ってくる。

花穂の声は、千影の声と同じく虚しく闇にこだまするだけだった。

不安になった花穂はあたりを見渡した。だがあたり一面は漆黒の闇で包まれていて、何も見えない。

花穂はおかしなことに気付いた。

「どういう…コト?花穂は…花穂はなんで自分が見えないの?」

おかしかった。たしかに周囲は漆黒の闇に包まれていて、何も見えない。だからこそおかしいのだ。

目隠しをされているわけではない。なのに自分の姿が見えない。

いくら暗闇の中にいるとはいえ、自分が、自分の手すら見えないことなど、まずありえない。

普通の人間なら、この場で不安が限界を超えてしまうだろう。そして自分を見失う。

そして自分を見失った人間が迎えるものは……精神の崩壊。

個人によってそうとは限らないが、大抵の人間は不安が限界を超えると精神の崩壊を引き起こす。

精神が崩壊してしまった人間は、ただの魂の抜け殻に等しい。

生きているのに生きていない。生きていないのに生きている。ある意味、植物人間よりも悲惨な状態になる。

しかし花穂は違った。そのときの花穂も、不安に押しつぶされそうだったに違いない。

でも花穂はどれだけ不安な状況でも自分を見失う事は無かった。

普段からドジっ娘の花穂は、いつでも不安と隣り合わせだったから、だから精神が崩壊することはなかったのか。

いや、違う。そんな事で説明しきれるほど不安は小さくなかったはずだ。それでも花穂は自分を見失わなかった。

兄に逢いたい、兄と一緒にいたい、そういった想いが花穂を支えていた。兄の存在こそが今の花穂を支えている柱そのものだった。



ふいに目の前を青いものが、スイッ…っと横切った。

「え……?な…に…いま…の……?」

目を凝らしてよく見ようとするが、辺りは自分が見えないほどの漆黒の闇。見えるはずも無い。

「花穂の…錯覚…だったのかなぁ…?」

その時、また青いものが目の前に現れた。今度はハッキリと見てとれた。なにしろ花穂の目の前を舞っているのだから。

「蝶…?なんでこんな所に蝶がいるの?」

自分の身体さえ見えない漆黒の闇だというのに、ハッキリと見える青い蝶。

その蝶はあたかも花穂に用事があるかのように花穂の目の前を舞っている。そしてどこかへと、花穂を誘導し始めた…。



「あ…。ちょっと待って!」

その不思議な青い蝶に‘なにか’を感じた花穂は、蝶についていくことにした。

どれくらい歩いただろう。いや、この表現は間違っているか。なにしろ歩いているつもりなのに、歩いている感覚が無いのだから。

なのに身体だけは不思議と蝶のあとを追いかけていった。まるで蝶に吸い寄せられるかのように…。

その間、花穂は蝶の事だけを考えていた。他の事を考えると、蝶を見失ってしまう様な気がしてならなかったから。

ふと蝶の行く先に明かりが見えてきた。暗闇にすっかり慣れてしまった瞳に痛くない、優しい光。

花穂は懸命にそこへ向かおうとした。その光がこの暗闇の出口だと信じて…。

だが、そこへ行く事が出来ない。なぜか身体が前へと進まないのだ。前進が鉛になったかのように重い。

「そんな…どうして…?光が…見えるのに…きっとあの先に…お兄ちゃまがいるのに…。」

それまでこらえていた熱いものが溢れ出しそうになる。そんな瞳を拭おうとする。

だがその時になって花穂はからだのまわりに何かがまとわりついていることに気がついた。

その‘見えないもの’は花穂をその光のもとへ行かせまいと身体にまとわりついてくる。

「いやぁっ!はなしてぇっ!」

振り払おうと試みるが、全く効果が無い。むしろ余計にまとわりついてきているような気さえする。

「そんな…花穂はずっとここにいなきゃいけないの…?お兄ちゃまの所に戻る事も出来ないの…?」

さきほど拭おうとしたものがまた溢れてきそうになる。そんな弱気になった花穂の頭の中に兄の言葉が聞こえた。

ずっと昔。まだ兄も花穂も小さかった頃。兄が花穂に言ってくれた言葉。

「花穂ちゃんに応援してもらうと不思議と頑張れるんだ。だからずっと僕の事、応援しててね。」

その言葉を思い出した花穂は涙を拭った。不思議と身体は先程よりは軽くなっている。

「お兄ちゃま…花穂、絶対あきらめない。お兄ちゃまに逢いたいから、お兄ちゃまといっしょにいたいから。  

 お兄ちゃまのことが誰よりも好きだから、お兄ちゃまの事、ずっと応援し続けたいから!!」

そう決心した時、身体にまとわりついていたものが弾けとんだ様な気がした。その瞬間、目の前が明るくなった。

あまりの眩しさに花穂は思わず目を閉じてしまった。おそるおそる目をあけると、そこは見慣れた部屋だった。

漆黒の闇でも、見たことのない場所でもない、自分の部屋だった。気がつけば、ベッドのまわりにはみんなが集まっていた。





まわりを見渡せばいつもの顔が並んでいる。可憐に咲耶、衛達……。当然兄もいた。

兄は花穂の隣にいて、手を握っていた…。ホッとしたような顔で…。

「よかった…本当に…。花穂が無事で…よかっ…た…。」

しかし、兄はその一言を残すと、そのまま、まるでスローモーションのように花穂の方へ倒れこんだ。

とっさの出来事に花穂はあわてて兄を抱きとめた。

「お…お兄ちゃま!?」

「兄チャマ!?」

「アニキ!?」

妹たちが口々に兄を呼ぶ。しかし兄は花穂の腕の中でぐったりとしていて、誰の声にも反応を示さない。

その時、ふいに千影が口を開いた。

「仕方が…ないんだ…。」

「え…千影ちゃん…それってどういう事なの?」

「実は……。」

千影はみんなに理由を説明し始めた…。





「実は私がちょっとした…そう…ちょっとした術に…失敗…してしまったんだ…。

 あんなミスをするなんて…まったく…思いもしなかったよ…。」

千影によるとその術の失敗によって、魔界とこの家が直結してしまったらしい。

「それだけならよかったんだけど…ある種の魔物が…入り込んでしまったんだ…。

 みんなも見ただろう…?あの得体の知れない…不気味なものを…。」

「それなら四葉も見ましたデス!なるほど、あれが魔物だったんデスね…。」

「そう…。私以外のみんな…ようするに兄くんはもちろん、可憐ちゃんたちも自分の身を守りきれなかったんだ…。

 その魔物の攻撃から…ね…。その魔物は…魂を抜き取って牢獄に閉じ込めてしまう…。そしてその魂の絶望を…喰らうんだ…。」

「じゃあ、なんでボク達は無事なの?」

「私がちゃんと魔界へ送り返したからね…。魔物の魔力は…人間界では…効果が薄い…。

 近くにいなくては…制御できないんだ…。だから…みんなは…助かったんだよ…。」

「そうなのですか。でもなぜ花穂ちゃんだけは目を覚まさなかったのでしょうか?」

「たぶん、よっぽど花穂ちゃんは…幸せだったんだろうね…あの魔物の魔力は…幸せを感じていればいるほど…  

 深く…暗い牢獄に連れ込んでしまうからね…。」

そう、あの時花穂は幸せの絶頂に近いところにいた。だから一人だけ深いところに堕ちてしまったのだ。

「ならなぜ兄君様が手を握ってらしただけ花穂ちゃんは目を覚ましたのですか?」

「簡単な事だよ…魂が…つかまっている牢獄は…ほんとはスキだらけなんだ…。」

そう言うと千影は説明を始めた…。





10分後―――――





「だから抜け出すには…道標があれば…どうにでもなるんだ…。ただこれが厄介でね…並大抵のやり方じゃ通用しない…。」

「じゃあ、どうすればいいんですの?」

「ヒトの力を使って…道標を作るんだ…。その闇に落ちている者を…大切に想う気持ちが強ければ強いほど…、

 漆黒の闇に飲み込まれない…明るい道標を作る事ができるんだ…。」

「……亞里亞…よくわからない……くすん…。」

「ふふっ…亞里亞ちゃんには…少し難しすぎるかな…。」

「そんで、なんでアニキじゃないとだめなの?別に可憐ちゃんとかでもよかったんじゃないの?」

「それはね…兄くんがこの中の誰よりも…花穂ちゃんの事を…大切に想っているからだよ…。」

「お兄様が!?そんなデタラメ言わないでよ!」

「咲耶ちゃん、千影ちゃんが今まで嘘ついた事ある?ないでしょ?」

「そうだけど…でも今の言葉は聞き捨てならないわ!説明してちょうだい!千影ちゃん。」

「ふふ…せっかちだね…いずれ時がくれば自然と分かるよ…みんなにも…もちろん咲耶ちゃんにもね…。」

「千影ちゃん、それどういうイミ?」

「言葉のとおりだよ…あまり気にしないほうがいい…。自分の身のためにもね…。」

咲耶には何の事か分からなかったがそれ以上聞くのは恐い気がしたので自分の心の中にとどめておく事にした。

そして千影は黙ってしまった咲耶をなだめるように説明を続けた。

「だから兄くんは…自らこの役を引き受けたんだ。花穂ちゃんを…助ける為にね…。」

みんな黙って千影の次の言葉を待った。

「そしてこの行為は…その道標を作り出した人物の体力と精神を…恐ろしいほどに奪ってしまう…。」

「だから兄君様は倒れてしまったということですか?」

「そうなんだ…今の兄くんの身体は…ひどく衰弱している…よほど…力を使ったんだろうね…。」

「でもでも、きっと兄チャマは大丈夫なんデスよね?」

「そうなの、千影ちゃん?」

「…………。」

千影は返事をしなかった。したくなかったのかもしれない。

「お兄ちゃまは大丈夫だよね?千影ちゃん!」

花穂の強い口調に驚いた千影は重い口を開いた。

「おそらく…大丈夫だよ…ただ……。」

「ただ…なに?何か都合の悪い事でもあるの?」

「いつ眼を覚ますかまでは…私にもわからない…おそらく3〜4日後ぐらいだとは思うのだが…。」

千影がはじめて「わからない」と言った。花穂は急に不安になってきた。

「花穂、お兄ちゃまの近くにいる!」

「駄目ですわ。花穂ちゃんもお休みにならないと…。」

「でも、お兄ちゃまがこうなっちゃったのは花穂のせいだから…。」

「だからって花穂ちゃんが責任を全部背負う事は無いんデスよ?」

「お兄ちゃまは花穂の事助けてくれたの…。だから今度は花穂がお兄ちゃまの事助けたいの!」

気がつけば花穂は叫んでいた。他の妹たちはビックリしているようだった。それほど花穂が叫ぶ事は珍しいのだ。

そんな中千影が花穂に近付いてささやいた。

「…そうだね…花穂ちゃんが隣にいるほうが…兄くんもはやく眼が覚めるかもしれないね…。」

「じゃあ……!」

「行くといい。あとの事は…私がなんとかするよ…。大切な人の隣にいたいのはみんな同じだけれど…。

 兄くんが必要としてるのは…私達でなく…花穂ちゃんのはずだからね…。」

「千影ちゃん…知ってたの!?」

「ふふ…私じゃなくても…あんな所を見ればすぐに分かるよ…。もっとも、みんなは気付いていないようだけどね…。」

「わかった。ありがとう千影ちゃん。」

「さぁ、はやく行った方がいい。ひとり…すごく納得のいかない顔をしている人がいるからね…。」

千影の言う「納得のいかない人」とは当然咲耶の事である。花穂は千影にもう一度お礼を言うと、兄の部屋へと向かっていった…。



――――3日後――――





兄は目覚めた。「わからない」と言っていた千影の予想は当たっていた。妹たちは喜んだ。

だが…二人だけ素直に喜ぶ事ができない妹がいた。



―――1時間前――――



「ここは…?僕の部屋…。」

朦朧とする意識の中、兄は自分のベッドの上で眼を覚ました。と同時に花穂が兄に飛びつく。

「お兄ちゃま!よかった…お兄ちゃまが元気そうで…。」

花穂はあれからずっと兄の隣にいて手を握っていた。徹夜なんてレベルではなかった。

だから花穂のこの反応は当たり前でもあった。だが……――――――。

「君…だれ?」

しばらく考え込んだ後に兄がたずねた。

「え…?おにい…ちゃ…ま?」

「君は誰なんだい?どうしてここにいるの?」

「そんな……ふざけてるの?……お兄ちゃま……?」

「やはり…こうなってしまったようだね……。」

唐突に声が響く。いつのまに来たのか千影が入り口のところに立っていた。

「やはり…ってどういうコト?」

花穂が千影にその意味をたずねようとした時……。

「あれ?千影ちゃんじゃないか。どうしたんだ?そんな所に立って…。」

「――!!あに…くん…?私が…わかるのかい…?」

千影は驚いたように言う。

「何言ってるんだ?千影ちゃんだろ?忘れるわけ無いよ。僕の妹だもの。そういえば可憐ちゃん達は?」

まさか――――!!寒気がした。千影の脳裏に悪い夢がよぎった。昨日見た悪夢が。

「兄くん…そこにいるのが誰か分かるかい…?」

「僕の隣にいる子?そういえば誰なのこの子?千影ちゃんの友達?」

「お兄ちゃま…嘘でしょ…?冗談だよね…?」

「嘘でしょ…って言われても…。僕は君に見覚えなんてないし…兄呼ばわりされる筋合いは無いと思うよ?」

「兄くん…本当に…覚えが無いのかい…?」

「うん。ほんとうに無いよ。」

「そんな…………!」

兄の言葉に花穂は絶望した。そして花穂は反射的に言葉を殺すようにして兄の部屋から走り去っていった。

「花穂ちゃん……。」

千影は事の重大さに気付いてしまった。このケースに似たものも可能性に無かったわけではなかった。

だが。それはあくまで一時的な記憶喪失だった。もともと精神の力を使うのだからそうなる事は分かっていた。

なのに――――― 。

兄は…花穂の事だけを…すべて忘れてしまっていた。他の妹たちの事は覚えているのに…花穂の事だけを……。

誰よりも好きだったはずの花穂の事を兄は忘れてしまっていたのである。

兄は…記憶喪失でない記憶喪失になってしまっていた…。

千影の見た悪夢は今、現実のものとなってしまった……。



つづく。



〜あとがき?〜



砂糖:第2話です。添削かける箇所が少なかったから比較的楽だったかも。

蝙蝠:一番最初のお詫び削っただけだろうが。

砂糖:にゅぅ〜…… 蝙蝠:続きは?

砂糖:たぶん今月中に終わる…ハズ。

蝙蝠:おい。

砂糖:今回も読んでくださった皆様、ありがとうございました♪

蝙蝠:勝手に挨拶して終わろうとするな。

砂糖:にゅぅ〜………

蝙蝠:まぁいい。早く続きかけ。溜めすぎだ。

砂糖:うにゅ。

蝙蝠:読んでくださった皆様方ありがとうございました。こんなやつですが今後ともよろしくお願いします。

砂糖:お願いします。





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