0/missing  朔月
暇な少女達の憂鬱。




部屋の明かりはついていなかった。しかし暗くはない。ヴェランダへ続く大窓、そこ差し込む陽の光は、狭い室内を十二分に満たしていた。
ああ、どこぞの詩人もどきが春の光を慈悲深いなどと勘違いするのも、あながち間違っていないのかもしれない。それくらい日差しは柔らかく、窓越しに僅かなぬくもりと共に光を運んできている。悪くない。
そんなことを、窓際の椅子で右手の本に目を落としていた倉上 咲耶は思った。
思うことで、室内の惨状にできる限り目を向けないようにしていた。

「ふぐぐぐぐぐ……」
「あううううう……」

中央に据えられた四人掛けのテーブル、そこにつっぷしてうめく二人の少女。
開かれたカードの見つめ、打ちのめされたように顔を上げない二人の前に詰まれたお菓子は、横合いからレイク――ディーラの使う、いうなれば洒落た熊手である――でかっ攫われていく。向かう先は困惑気味に首をかしげるもう一人の手元だった。そこには既に戦利品が山をなして、頭上で戸惑いを浮かべる新たな主を見上げている。

「ええと……わたし、どうすればいいのかしら?」
「――おやつは、食べる物だよ」

深見 揚羽の、まじりっけなしの本気で状況をわかっていない声音に、ディーラ役を務める藤崎 初音が答えた。真夜中を思わせるほどに深く、澄み切り落ち着いた声。神託を告げる巫女のようなその声は、聞くだけで心地よい。天上の楽音にも匹敵すると咲耶は思っている。割と喋らないだけに、聞く機会も貴重だ。
なので、それを邪魔する倒れ伏した友人どもにやんわりと注意の声を投げた。

「燕に鹿乃子。うるさいから黙れ」
「ひ、ひどいよさーやん! それが有り金きょうのおかし全部取られた哀れな哀れな友達に投げる言葉!?」
「そうよ咲耶! いくら貴方が平熱三十五度六分の冷血動物だからって、それはないわ!」
「わたしの脳内に格納されてるオトモダチのあしらい方フレンドマニュアルには“柳葉 燕、紅葉沢 鹿乃子両名とも甘やかすな”と書いてあるのよ。
 あと鹿乃子、いい加減なこと言わないで。私の平熱は五度八分よ」

ぱたんと本を閉じ、時計を一睨みして立ち上がる。
その仕草に咲耶の言葉であうあう呻いていた燕が即座に表情を笑みに変えた。よく表情が切り替わるのが彼女の特徴である。咲耶が「彼女ってば実はスイッチ式で感情構成しているんじゃないか」と疑う程に、その切り替えは素早く、予備動作と言うものがない。

「ん、時間?」
「そうよ」

同時に、その思考速度もズバ抜けている。切っ掛けから先を一瞬で計算する、その洞察と思考の瞬発力は自分たちの中でもピカ一だろう。ああ、瞬発力がありすぎて感情の切り替えが一瞬に見えるのかもしれない。とにかくそれは、素直に賞賛できる彼女の能力のひとつだ。

「つーわけでちょっと出てくるわ。寮監はうまくごまかしといて」
「あいあい。そこらへんはあたし達に任せて、存分にデート楽しんでらっしゃい」
「逢引なんて二度と言うな。その白首、斬り飛ばすわよ鹿乃子」

気をつけてねー、と気楽に手を振る連中を恨みがましげに一瞥して咲耶は部屋を出る。ぎぃぱたん、と音立てて閉まったドアを見つめながら、部屋に居残った四人は顔を見合わせた。

「デートって言うなって、どう見たってデートじゃない」
「そー君と二人で行くんだもんねー。いいなあいいなあ」

鹿乃子と燕が楽しげに声を合わせて、ねー、と首を傾ける。それを無表情で眺めて、初音が後を継いだ。

「逢引、かな」

だって、彼女達はただ遊びに行くわけではない。仕事に行くのだ。しかもそこそこにハードで、それなりに危険な。
言外にそう含ませる初音だが、揚羽は首を横に振る。

「いいんじゃないかしら? わたしもあれは逢引だと思うわ」

くすり、と笑う。無邪気に、可憐に、清廉な美しささえ備えて笑う。
深見 揚羽とは、そういう生き物なのだと知らなければ、なかなかに勘違いしてしまいそうな表情で、彼女は言う。

「咲耶、うっすらとだけど、ちゃんとお化粧していたもの。仕事に化粧していくようなタイプじゃないでしょう、あの子?
 ということは、本人は仕事と思っていないのよ。ただ間で一人、誰かにとって邪魔な方がこの世界からさよならするのが少し特殊なだけね」
「……なら、確かに。お化粧は、ね」

後半は無視して、その論理展開だけは認めざるをえない。倉上 咲耶という人物をよくよく知っているだけに、認めざるをえない。
初音は言葉とともに小さく頷く。
畳み掛けるように、騒がしさの代名詞と言われる燕が声を上げた。

「だよねだよね! と、ゆーわけであたしとしては独り身のさびしーぃ生活をどうにかするためにも、今度の日曜にロージーも誘ってぱぱーっと久々に街に繰り出すことを提案するのであります!
 実はさ、この前No-noNoノ・ノノでケーキの美味しそうなカフェ見つけたんだよねー! そこ行くついでにカッコイー彼でも探しに行かない?
 さあさ、この企画に乗る方はご挙手願います願います!」

さんせー、賛成、ん。同意の声が三様で三人分、のどかな陽の差す部屋を通り抜けた。




部屋を出た咲耶は、扉を閉めるなり嘆息した。中から聞こえる無責任な声が、余りにも予想通り過ぎたからだ。

「好き勝手言ってくれるわ……面倒事こなさないといけないのには変わりないじゃない」

こめかみを押さえながら扉を離れる。文句を言って聞く連中ではない事は、十年にも渡る付き合いでよく知っていた。化粧は――マジで反論できないが。くそ、良いじゃないか。私だって女なんだ。
内心で復讐計画を練りつつ、向かう先は北端の階段ホールだ。咲耶の部屋はこの階のひとつ上の四○三号室であり、そこに仕事道具を取りに行かなければ今日の仕事が成り立たない。わざわざ徒手空拳なんて阿呆らしいマネをするつもりはさらさらなかった。
東西に長く伸びた廊下、その中央、十字路で北へと進路を変える。途中に人影はない。まあ、二人で一部屋とはいえワンフロア四部屋――しかも4LDKである――という狂気染みた面積の無駄遣いを誇る鈴蘭学園学生寮だ。しかも日曜となれば、短距離の移動でそうそう人に会うことはない。
階段ホールは北、しかも山側だと言うのに明るかった。あちこちに仕込まれた鏡を通して太陽の光がここまで引っ張られているからだ。機能性重視・無駄切捨て派の咲耶にとっては、あまり好ましいデザインではない。電灯つけりゃいいじゃない、である。
が、なんだかんだ言ったところでどうしようもないのも知っていた。この設計者、既に狂死してやがるのだ。そうでなければ直接文句を言いに行ってやったものを。父の知り合いだったらしいし。
白々しいほど明るい階段を上り、四階の廊下を踏む。やはりここにも誰もいなかった。皆出かけているか、学内図書館か、部屋でお茶だろう。
暢気な連中。だが嫌いじゃない。そういう生活は嫌いじゃなかった。穏やかさの何が罪だと言う。無理に世知辛くなる必要など何処にもない。

「ま、仕方のないことよね。家業と言えば家業なんだし」

それにこの家業、気がついた時には、まるで呼吸のように自然に自分の中に溶け込んでいたのだ。だからもはや、好き嫌いなどの感情を差し挟むシロモノではない。
つまりは、慣れすぎたということだろう。
ぼやいている間に、足は咲耶を四○三号室前まで運んでいた。咲耶はベストのポケットから鍵を取り出して、扉の鍵穴には差し込まず、柄についた色ガラスを魚眼レンズにかざした。
かちん、と小さな音。掛けた手の力にドアノブは抵抗なく下がり、扉は開いた。ちなみに鍵穴に差してまわした場合、即警備員さんが飛んでくる。おかげで入学時期には話を聞かなかったアホ共のおかげで警備員さんは大忙しだ。
なんて無駄テク、と呟きながら咲耶は部屋に入った。

「……ロージー、まだ帰ってないんだ」

ひっそりとした室内に、ルームメイトの不在を知る。今日は朝から生徒会の仕事で忙しいと言っていたが、まだ終わっていないようだ。

「よく働くなぁ、本物のお姫様の癖に。いや、だからこそかもしれないけど」

昨日から予定を聞いていたのでお弁当を作って持っていかせたのだが、どうやらそれは正解だったらしい。
彼女は動く分よく食べる上、出されたものは偏食を押して全部食べるという厄介な主義を持っている。おかげでハズレを引くかもしれないから日替わりしかない学食にもいけず、お弁当がなければ昼飯抜きなんていうとんでもない事態に陥っていただろう。
そんな事態になって、内心どれだけ突っ伏したくても、辛いなんてかけらも他人に気取らせないだろう。それがロージーだ。
そこらへんは流石、ノブレス・オブリージュ――いや、彼女は英国人なんだからノーブル・オブリゲーションか――を徹底して実践してるな、と思う。
それとも、これも私の家業に関する感覚と同じく、彼女なりの慣れなのだろうか。
それはともかく、私の出立を彼女が知らないのは僥倖だ。言葉にした事はないが、衣桜に属する私や、あの四人と違って、常人の感覚を持つ友人に心配を掛けたくない。
はぐれ殺し屋の動向など、優し過ぎる彼女にはまったく持って必要のない情報なのだ。

太陽のせいで部屋は電灯を点けずとも明るい。すたすた歩いて、クローゼットから鞄を取り出す。黒革張りの小さなスーツケースだ。この中に仕事用の武装が入ってる。無論、常時最低限の武装はしているが、戦闘用の装備までいつも身につけているほど剣呑ではない。
と、そのときベストの携帯からアコースティックギターの音色が流れ出した。曲はドヴォルザークの「新世界より」の第四楽章。わざわざアコギなのは咲耶の趣味だ。

「げ、やば。待たせちゃったか」

鳴った瞬間に誰かわかった。この着信音を当てているのは一人しかいない。
携帯を開きつつ時計を見る。大映しされる予想通りの名前。時計の時間は、確かに予定をすこし過ぎている。
ちゃんと時間を見て燕と鹿乃子の部屋を出てきたのに。燕が自室の時計を狂わせたままでいるはずがないから、途中、呆としすぎたか。
これから仕事だというのに情けない。嘆息しながら電話に出る。

「はい、私よ。ゴメン、遅れちゃったわね」
「あ、うん。咲耶にしては珍しいから、少しね」

携帯の向こう側から聞こえる彼の声。咲耶の、幼いころからの唯一無二のパートナ。あいかわらず表面上は穏やかなくせに、場合によっては冷徹を超えて――もしかしたら咲耶の父以上に――酷薄になれる彼。
ソーディア・鹿島・ファイアハート。それが彼の名前だ。
長いと思う。でも、それは必然だ。長い歴史とそれに匹敵する重みを持つ家を二つ背負っているために、彼はファミリーネームを、責任と同じく二つ抱えるしかなかったのだ。倉上 咲耶が、衣桜 朔夜でもあるのと同じように。ロージー――いや、ローゼリアがキャメロットの名前を持っているのと同じように。

「すぐに出るわ。もう来てるの?」
「裏門にね。影山さんが車回してくれてる」
「了解、すぐ行く」

急いでスーツケースを引っ張り出し、咲耶は約束の裏門へ向けて慌しく部屋を飛び出した。




部屋を出て五分後、咲耶は日中だと言うのにロクに陽も届かない森の中にいた。鈴蘭の森、と呼ばれている学園の北東部に広がる森である。
学園内でも怪奇スポットとして名高く、近寄るのは超常現象研究会や森林愛好会、工芸部木工課(よく森林の伐採絡みで森林愛好会とエクストリームな交渉を行っている)など一部の変わり者ぐらいしかいない、そういう場所だ。
その中を、咲耶はスーツケースを背負って一直線に疾走していた。
鋭い方はすぐにお気づきになるだろう、陽も届かない鬱蒼とした森の中をまっすぐに疾走するその異常。そんな森、すぐ木にぶつかってロクに走れるはずがないと言うのに。
その解は単純にして怪奇、彼女の行く先に道を作るかのように、森を形作る木々が身を横に退けているのだ。
常人なら目を剥くこの光景だが、咲耶には見慣れたものだった。彼女はそれこそ、衣桜家の――いや、衣桜 美園の娘として生まれたときからこんな異常と付き合ってきていた。十六年もそんな環境で生きていれば、流石に慣れもする。というか、しばらくするまで異常なのだとすら思わなかった。それくらい彼女にとってはありふれたものだったのである。
術者の意思のままに動く植物の使鬼、衣桜家ではこれを餓木と言う。衣桜家が傍流含めて餓木飼いと呼ばれ、古来より畏怖される元となった使鬼である。
咲耶の母――美園は、そんな衣桜本家の中でも抜きん出ていた。現在どころか、過去に遡ってもなお、だ。今残っている衣桜家の歴史書を紐解いても、森ひとつどころか三つ四つ分の餓木を一度に保持・統率出来たという話は残っていない。美園は、それを軽々と、楽々と成し遂げていた。この鈴蘭の森も、普段は単純な命令をこなすだけとはいえ、すべてが彼女の指揮下の餓木なのである。普通の術者なら発狂確実の規模だ。
娘の咲耶からしても、十二分に化け物だと思う。規格外もいいところだ。問題は畏れ以上に憧憬が強いことだが、こればっかりは親子だからと思うことにしていた。

森を疾駆することしばし、森の切れ目が見えた。鈴蘭学園の裏門である。学園案内図にすら載っていないから、ほとんどの学生はこんなところに門があるなんて知りもしないだろう。
その門が開け放たれている。そしてそばにプレジデントが停めてあり、一部の隙もなく黒いスーツに身を固めた初老の男が立っていた。
森から飛び出した咲耶に、男は額に飾っておきたいほど見事な角度で一礼する。

「ご機嫌麗しゅう御座います、お嬢様」
「こんにちは影山さん。御免なさい、待たせちゃったわね」
「お嬢様のご到着を待つ時間、それが苦痛であるならば私は執事を辞しております」

そう言って穏やかに微笑する執事に、咲耶は敵わないなぁと首をすくめた。
背負っていたスーツケースを下ろし、ガラガラと引いて影山の開けたドアから乗り込む。
そして咲耶から車の中でくつろぐ彼へ一言。

「お待たせ、ツルギ」
「ん、いいよ、咲耶」

ソーディア――咲耶だけが、彼をツルギと呼べる――から咲耶へ返ってくるのも一言。余計な言葉が要らないのが、彼と彼女の間柄だった。
車のやわらかいソファシートに体を預ける。左側で、熟練の手腕が光る静けさをもってドアが閉まった。しばしの間をおいて車が目的地に向かって進み出す。同時に車内では、仕事のミーティングが始められていた。

「今日のは?」
「ここにあるよ」

言うなりソーディアはドアポケットに差し込んであった黒いA4封筒の蓋に指を当て、つぅと引く。彼の指が通った後は鋭い刃物でも当てたかのようにすっぱりと封が切れていた。咲耶にとってはいつものことなのでいちいち驚きもしないが、傍から見れば中々怪奇な光景だろう。
その指で、封筒の中の書類が――もちろん傷一つなく――引っ張り出される。それが今日の仕事の内容だ。当日、しかも数時間前になってようやくそれを伝えてくるのが、咲耶の父、倉上 黒羽のやり方だった。緊急時の用件に慣れるため、とか尤もらしい理由をつけているが、これが黒羽の趣味以外の何物でもないことを咲耶は見抜いていた。伊達にあの父の娘を十六年余りやっていない。
書類を受け取り、流し見る。
末尾まで目を通して、彼女は即座に眉をしかめた。

「なにこれ、絵に描いたような俗物魔術師じゃない。わざわざ私達に寄越す仕事かしら?」
「あー、うん、確かにそうだね。でも警備だけは気を使ってるみたいだよ。ほら、自宅の構造にいくつか怪しい点があるし。そこそこ非合法な連中とも関わってるみたいだし」
「で、周りには金で雇ったチンピラがうろついてるってわけ? 勘弁してよ」

呆れ顔で返した書類の中身にソーディアもやはり苦笑いしながら頷き返した。

「いつかみたいに魔法師お相手とかは二度と御免だけど、これじゃあね。気抜けするわ」
「あれだと比較にならないよ。まあ楽な仕事と喜ぼう」
「……そーね。仕事が楽なのは、悪くはないわね」

あとの時間が増えるし、とは言わない。言えるわけがない。あたりまえだ、そんなこと。もし口走ってしまったら皆斬首した後死んでやる。

だけど、まあ、

「でしょ? それに今日の夕食、期待しててくれていいよ。結構自信あるお店なんだ」

こいつがこんな顔するのなら、ちょっとは甘えてやってもいいかな、なんて思うのだ。

「……いいわよ、期待しといてあげる」

少し、ほんの少しだけ、彼の方に寄りながら、咲耶は窓の外へと顔を向ける。
今の顔色を見せられるほど、まだ彼女は素直でも、大人でもなかったのだ。








No-noNo(ノ・ノノ):
星英社しょうえいしゃが毎月一日に発行する、十代後半〜二十代前半の女性向けファッション雑誌。
ファッション雑誌を名乗っているが、割と幅広いジャンルの情報を載せており、人気雑誌の一つに数えられている。
人気のコーナーは表紙モデルのファッションひとくちコラム「モでこレ!」と、名物編集者である咲崎さきざき 泊兎とまとの巻末雑記「行く先々で、トマト月記」である。


私立鈴蘭学園(シリツ スズランガクエン):
東京都から少し離れた、半ば田舎な地域に存在する私立学園都市。広大な敷地と設備を誇る。幼少中高大院一貫。
モットーは「自律と自制ある自由と自立」、通称四自。寮がそこらの高級マンション顔負けの設備であること、また学園内に生活に必要どころか、それ以上の施設が揃っているため、寮生は多い。
最寄り駅は鈴蘭学園前駅。バス停留所も兼ねる。
学園内は広大なため、路面電車が走っている。バスはないが、一部エコ・エネルギーを利用した実験車両が走ることはある。
年に一度の学園祭である「鈴蘭祭」には入場券があれば入ることが出来る。それ以外は基本的に部外者立入禁止。








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