月の光に染まる街 第五幕 後編
〜夢または果テ〜





私は眠れなかった。

風こそあまり無いものの、降り続ける雨。

それは何かとても不吉な事の前兆に思えてしまう。

だから、不安で眠れない。

…………

そんな幻影を追い払い、私は考える。

あの不思議な人の事を。

彼女は言った。

自分は吸血鬼だと。

私にも真実を知る権利があると。

そして――バケモノである自分にも優しくしてくれた兄さんだから、より人間に近い私なら絶対大丈夫だと。

そんな彼女に、昔も私が重なる。兄さんと私は違うモノなのだと泣いていたあの日々。

泣いてはいない。だが彼女は今にも泣いてしまいそうだった。

だからだろう。彼女の突拍子も無い話もすんなりと信じることが出来た。

そしてそれは、結果正しかった。

でもその時も――ああ、本当に――あの人は泣いてしまいそうだった。

……あの人は本当に私に似ていた。淋しさに、兄さんとの違いに押し潰されそうになっていた頃の私。

それなのに――あの人は言う。そんな、誰よりも淋しさに弱いのに、あの人は約束する。

『説明が済んだら、もうここには来ないよ。だって志貴はここにいるのが正しいから』

ああ、この人はなんて馬鹿なんだろう。

そんな、無理をしている笑顔を私が分からないと思っているのだろうか。

それでも――この人は私に兄さんを返そうとしてくれている。私の八年間の孤独を分かってくれる。

けれど私は知っている。私の孤独が分かるのは同じ事を体験した者だけだと。

分かっている。この人の孤独を埋めれるのも兄さんだけなのだと。

だからこの人の孤独は埋まらない。空いてしまった穴は、伽藍堂で、ただ虚ろなだけなのに。

『何故貴方はそんな事を――』

思わず聞いてしまった。ああ……答えなんて、わかっているのに。

『だってわたし吸血鬼だよ?いつか――自分でもわからないうちに志貴の血を吸う事になるかもしれない。

 それならわたしはいない方がいいわ』

自分の心を殺しても、志貴だけは護る。

彼女はそう言っているのだ。

それだけで短い話は終わったけれど、私の中では彼女の言葉がぐるぐると回り続けていた。

そして何故だろう。この八年間に矛盾するとある事を思い描いている。

「私がいて、兄さんがいて、あの人がいて。

 一緒に出かけたり、午後のお茶を楽しんだり、ただおしゃべりしたり」

浮かんでくるそれでは誰もが笑顔で、本当に楽しそう。

でもそれは。

「すぐ手が届きそうなイツモなのに――」

――あまりに遠い、哀しいユメ。

……

…………

兄さんなら。

兄さんならこれに答えられるかも知れない。

兄さんならきっと答えを出せる。私の孤独も、あの人の孤独も全部埋めてくれる。

……ああ、やっと分かった。

昨日突然の出会いをしたばかりで、

彼女は兄さんに恋していて、

彼女は私の恋敵なのに、

遠野秋葉はあのアルクェイドという吸血鬼が、どうしようもなく好きになってしまったんだ――

分かってしまえば簡単だ。

私はもう迷う事無く上着をかぶり、遅いのは分かっているけれど兄さんの部屋を目指す。

時間は丁度十二時と三時の中頃だ。琥珀が見回り来るまでには帰ろうと思う。

琥珀の部屋の前を慎重にゆっくりと通り抜け、兄さんの部屋に向かう。

そのドアの前で深呼吸――うん、大丈夫。

手をあげ、軽くノックする。

数秒――

数十秒――

不審に思いながらもう一度。

また同じ、間。

「兄さん?お休みになったのですか?失礼しますよ」

ガチャリと扉を開ける。

目の端に揺れるカーテンがあった。どうしたのだろう、たしかちゃんと閉めたはずだが。

閉めようとそちらに歩み寄って気付いた。ベッドの上に兄さんの姿が無い事に。

頭が一瞬真っ白になる。

惚けて立ち尽くした後、私は駆け出した。

兄さんはまだ自分からどこかに出かけるほど回復していない。

誰かに連れ出されたと見るのが妥当だ。

一瞬、あの人が浮かんだ。

だが首を振って否定する。あの人はそんな事はしない。兄さんが怪我しているのにこれ以上連れ出すなんて事は絶対にしない!そんな馬鹿な事ってあるはず無い!

だとしたらそれ以外の誰かが――

「まさか」

まさか。そうなのだろうか。だとしたら兄さんは――

「もしそうだとしたら許さない、シキ――!」

ギリリと噛み締めた歯。私は屋敷を駆ける。この怒りが消えない内に。





琥珀と翡翠を叩き起こし、私は居間で落ち着かない数分を過ごしている。

「秋葉さま、志貴さまは大丈夫なのでしょうか……」

翡翠が心配そうに聞いてくる。どうもこの子は兄さんの事となると表情の変化が大きくなる。

……まあそれは、今はいいとして。

「落ち着きなさい翡翠。貴方が見回りをしてからまだ二時間経っていないわ。兄さんなら――大丈夫よ」

そう、兄さんなら大丈夫だ。あの七夜の技術が染み付いた兄さんなら。

あの人によると兄さんが吸血鬼を倒したらしい。それなら少なくとも体術は衰えていない事はまず間違いないだろう。

昔、森で遊ぶ兄さんとシキの人知を超えた動きにいつも私は戸惑ってばかりだった。あれを鬼ごっこだと言い張る二人の常識を何度疑った事か。

話が脱線したようだ。

とにかく兄さんは無事なのだ。絶対に。

思えば、この確信があるから私は今冷静でいられるのだろう。

そしてこんな時だからこそ、あの人がここにいればと思う。吸血鬼であるあの人なら、兄さんが何処にいるか分かるかもしれないのに――

あの時は突然すぎて、連絡先を聞くなんて思い浮かばなかった。今となっては悔やんでも悔やみきれない失敗だ。

トタトタと小走りに駆ける音がして琥珀が今に飛び込んできた。手には一本の黒いビデオテープ。

「秋葉さま、きっとこのテープに何か写っているはずです。デッキはわたしの部屋にありますのでそちらへ」

「分かったわ」

頷きながら足早に琥珀の部屋に向かう。琥珀の部屋にそんなものがあったとは知らなかったがありがたい事だ。

琥珀がテープを素早くデッキに差し込み、テレビの電源を入れる。

しばし早送りが続く。

その空白が、今は何より惜しかった。

「そこだわ」

わたしの声とほぼ同時に画面が止まる。

一つの影が兄さんの部屋の窓の前に立っている。正確に言えば窓の前の木の枝に。その動きは明らかに人間ではない。

ああ、あの人と同じ場所だなと思いながら、琥珀が通常再生にした画面を食い入るように見つめる。

顔までは暗がりでよく分からないが、ツインテールの髪とその着ている服ははっきりと分かった。どこかの学校の制服らしい。

私と同じく画面を睨んでいた琥珀がしばしの思案の末声をあげた。

「この制服はたしか志貴さんの学校の制服ですね。お買い物のときに見たことがあります」

その声の間に、彼女は白い何かを大事そうに抱えて木の枝を飛び移って行ってしまった。

この白いのが兄さんだろう。一緒になくなっていた毛布にでも包まれていたから、あんな風に見えたのだ。

だがこの状況を見るなら彼女は兄さんに危害を加えるつもりは無いのかもしれない。言い切れないが、先程の行動は兄さんが雨に濡れないための配慮と取れるから。

でもそれでも、一刻も早く兄さんを救い出さなければ――

でも、何処に?





気がつくと、俺は見た事のない部屋に居た。

丸太で作られた壁。ログハウスを思わせるつくりは、実際ログハウスなのだろう。

ベッドから起き上がり――そのときついてしまった右腕の痛みに顔をしかめながら――部屋にあった窓から外を見る。

相変わらず雨は降り続いていた。そろそろ警報が発令されるだろう。

カチャリ

ドアの開く音に振り返る。弓塚がトレイの上におにぎりを乗せて立っていた。

「おはよう遠野君。えっと……おにぎり、食べる?」

そこに立っているのは間違いなくいつもの弓塚だった。ざわざわと潮騒のようにかすかに血は騒ぐけど、危険はまったくない。

「頂くよ」

イスやテーブルが無いのでベッドに腰掛ける。弓塚は間にトレイをおいて座った。

たしかに腹は減っていた。琥珀さんによると身体の再生機能が活発化されているらしいからそのせいだろう。

一つとって食べる。なんだか弓塚がこっちをじーっと見ていて食べづらい。

それでもおにぎりはおいしかった。うん、これは間違いなくおいしい。

ひょいひょいと口に放り込んでいく。途中喉に詰まりそうになったけど弓塚がお茶を用意していてくれたので助かった。

「ごちそうさま」

食べ終わって一息つく。

しばらくの間、どちらも無言だった。

俺は正直に言ってどう切り出せばいいか分からない。聞きたい事は幾つもあったけれど――

「あの日はきっと忘れられないね」

自然な口調で弓塚は語りだした。その自然さは、喫茶店で話すみたいなそんな自然さ。

「遠野君と初めて一緒に帰れて、いっぱいお話できて――

 すごくうれしかった。

 だからすこしムチャをしたくなったの。今日ならきっとって」

どこか遠くを見るように、弓塚は語る。

俺はただその横顔を見つめるだけだ。

「ちょっと噂になってたんだ、遠野君が夜の街を歩いているのを見たって。

 それで遠野君があの殺人鬼じゃないかって……

 それを確かめようとして、わたしは街に出て行った」

弓塚が言葉を切る。

かすかに――不思議そうに首を傾げたような気がした。

「街を歩き回ってもう帰ろうかなと思って……そこからよく覚えてないの。

 気がついたらここに寝かされていて、サイドボードに書置きがあって……それで全部分かっちゃったんだ。

 自分が吸血鬼になったって。もう人じゃないんだって」

彼女は笑顔だった。

――俺はそれがトテモキレイだと思った。コワレル寸前の儚さほどキレイなモノは無いのだから。

「すぐには信じられなかった。でも外に出ると太陽の光が痛くて、苦しくて。

 急いで中に戻って。それでも体中が痛くて……でもそんな事より悲しくて。

 ずっとずっと泣いてたの。でも誰も来てくれなくて」

泣きそうな――いや一筋、二筋と涙をこぼしながら笑顔で語る彼女。

だが……少しだけ、その声が明るくなった。僅かな光明を見つけたみたいに。

「そんなときにあの人が来てくれたんだ」

もう弓塚は泣いてはいなかった。





少し、気が重いけど約束だからわたしは志貴の家に向かって歩いていた。

昨日志貴に注意されたから傘を差してきた。白い何も描いていない傘だけど、わたしはそれなりに気に入ってるんだと思う。

パシャパシャと水溜りをはねながら坂道を登っていく。

空は雲で覆われたまま、ずっと暗いまま。

ニュースでは大雨洪水警報が発令中との事だ。おかげで大通りは人がほとんどいなくて、ここはに至ってはわたし以外誰もいない。

暗い昏い雨の中で、独り坂道を登り続ける。

うつむいていたから、いつのまにか門の前に着いていた。

門はしっかりと閉ざされている。少し考えてまわりを確認した後、わたしは門を飛び越えた。

志貴の家は日本にある家ではずいぶん広い。それに木も多いしわたしは結構気に入っていた。

門からの道を歩く。舗装された道は水溜り一つない。水溜りをはねるのは、少し楽しかったので少し残念だ。

「あれ?どうしたんだろ」

秋葉といったか、志貴の妹がこちらに走って来ていた。傘は差しているものの、ほとんど意味がないくらいの様子はただ事ではなさそうだ。

もしかして、志貴に何かあったんじゃあ――

「アルクェイドさん!兄さんが!」

予感は当たっていたらしい。

急いで秋葉に駆け寄る。秋葉はほとんど泣きそうに見えた。

「兄さんが……誘拐されてしまいました!」

「志貴が!?」

どうやら大変なことになっているらしい。

慌てる気持ちを必死に抑え、秋葉と屋敷の中に入る。中にいた双子さんがタオルを持ってきてくれたので、ありがたく受取って濡れた髪を拭いた。

「なにか分かってる事はある?」

案内された居間でイスに座りながら秋葉に聞く。

秋葉は今までの経過をテキパキと話してくれた。

聞いて頷く。たしかにこれは。

「死徒――吸血鬼の仕業ね」

いい度胸してるじゃない。志貴に手を出すなんて。

ビクリと秋葉が身を縮めた。どうやら怖がらせてしまったらしい。

「あ、ごめんごめん」

言いながら殺気をとく。秋葉を怖がらせるつもりは無かったのだが、死徒が志貴をさらったと聞いて、その死徒がどうしようもなく憎くなってしまったのだ。

「あの……一体どういう事なんでしょうか?吸血鬼とは……」

おずおずと、翡翠と紹介されたメイドさんが質問した。秋葉は何も説明していないらしい。わたしはそれが悪いこととは思わなかった。

「秋葉、どうする?」

「……やむを得ません」

秋葉の表情に胸がズキズキ来たけど、わたしは状況を説明しだした。ただしあくまでかいつまんでだ。悠長に全部言っている時間がないから。

話が終わると秋葉は疲れたようにほぅと息を吐いた。

「そんな事があったんですね……兄さんは、いつまでも独りで抱え込もうとされるんですね」

「…………」

秋葉の様子に、わたしは何も言えない。見ると翡翠さんと琥珀さんも重い表情だ。

わたしは少し間を置いて切り出した。

「それじゃあ志貴を助け出すことに話を移すわね。それには一人ヤなヤツを迎えないといけないんだけど」

「ヤなヤツとは随分ですね」

目をやると部屋の隅に当然のような態度でシエルが立っていた。

「なっ!?」

秋葉たちは目を丸くしている。まあそれはそうだろう。わたしは最初からアイツが隠れているのに気がついていたけど、秋葉たちに結界を見抜く力はないだろうし。

「さて、志貴がどこにいるか教えてもらおうかしら。あなたの事だからわたし達に始末させるつもりでここに居たんでしょう?」

自然凶っていく眼を止める事もせずにシエルを睨みつける。

それを平然と受け止めながら、ええ、とあっさり肯定するシエル。

その様子に秋葉が立ち上がった。

見るとその周囲にゆらりと陽炎のように渦巻く気配。そして何より――鮮血のように染まり行く長い髪。

その気配すら冷然として、明らかにいつもの秋葉ではなかった。

なるほど、これが秋葉の異能か……

「兄さんが何処に居るのか、早々に教えていただけません?私、何処まで自分を抑えられるか自身がありませんの」

「やはり貴方も人ではありませんでしたか。本当なら処断すべきところですが、今回は見逃してあげましょう」

「なっ!?」

引き攣った秋葉の顔。相変わらず無表情なシエル。

――頭に、来た。

「シエル」

努めて冷静に立ち上がりながら、腕を組む。

「それ以上余計な事を言ってみなさい。志貴の事があってもあなたを殺してあげるわ。それから志貴を全力で探せばいいもの。なんならあなたの脳髄から直接聞こうかしら」

「…………」

流石にシエルも無駄口を叩かなくなった。少しは気が晴れたかな。

「あ、あの……アルクェイドさん?」

わたしの視界の外で秋葉達がガタガタしてたのは、ちょっと計算外。





シエルと名乗ったあのエクソシストが言うには兄さんをさらったのは弓塚さつきという兄さんのクラスメイトらしい。

その普段の様子からは兄さんに恋心を持っていたようだとか。まったく兄さんはなんでこうなのか。

ついで言うには、兄さんが無事かどうかは五分五分らしい。どうして、と聞くと吸血鬼に成るといろいろ変わってしまうらしい。ただ基本的な方向性は残るから兄さんを求めたのだとか。

……これではまるで遠野家の反転衝動だ。

首を振ってその弓塚とかいう人への同情を振り払う。兄さんをさらったのは事実なのだ。たとえどんな理由があっても。

雨の中、シエルさんが運転する車で近くの山へ向かう。ついでに言うならその山には遠野家の小さな別邸があった。

――言っておくが、私はこの人が嫌いだ。人の事をなんの気遣いもなくバケモノ呼ばわりし、ずかずかと家の中に入り込んだ。

  なによりアルクェイドさんがどうしようもないほど沈んでいるのが気になった。家を出る時に何か耳打ちされてからだ。

  何を言ったか知らないが、冗談じゃない。

だから私はこの女が大嫌い。今は兄さんを救出するために仕方なく協力してもらっているだけなのである。

「わたしとアルクェイドがターゲットをひきつけますので、その間に遠野君を助けて逃げていてください」

雨に歪むガラスの視界を睨みながらシエルさんが言ってきた。

アルクェイドさんは頷くだけで声も出さない。

……本当に、痛々しかった。

ああもう、一体何を言われたのか。

「あの、アルクェイドさん……何を言われたかは知りませんが、元気を出してください」

「ありがと。秋葉は優しいね」

……そんな消えそうな笑顔で言われてもうれしくなかった。

「そろそろですね」

無機質な声でシエルさんが告げた。確かにもう車は暗い山の中に入っていた。





「あの人はわたしと顔をあわせた途端、わたしに謝ってきたの。わたしを吸血鬼にしたのは自分だって」

俺は無言で弓塚の話を聞き入っている。

自分を吸血鬼にしたやつの話なのに、弓塚はどこかうれしそうだ。

「わたし、すごく怒ったよ。本当にあんなに怒ったの生まれて初めて。

 泣いて叫んでつかみかかって……気がついたらあの人は血塗れだった。

 慌てて助け起こしたらなんて言ったと思う?『なんでやめるんだ?』って言ったのよ。

 本当、信じられなかった」

「それからは自分でもどうしてそんな事したのかわからないの。

 その人の傷に包帯を巻いて、止血して。その間ずっと不思議そうに見てたよ。

 でも後で気がついたの。あの人を助けた理由」

パタパタと雨音が鳴り響く中。

暗い部屋の中で。

弓塚は笑顔で語る。

「遠野君に似てたんだ。顔とかじゃなくて雰囲気がとっても。わたしと同い年なのに悟ったみたいに悲観したところはあったけどね。髪も真っ白だったし。

 名前を聞いたけど自分はもう死んだ人間だからって答えてくれなかった。それなのにわたしは生きてるんだって。

 おかしいよって聞き返したら、自分はもう死んでる事になっているから名前はないんだって。それってすごく悲しいよね」

弓塚は笑顔で楽しそうに語っている。

だが俺は、それどころではなかった。

白髪。歳不相応な悲観論。なにより死んだ事になっている。

それは俺のよく知っている、とあるヤツの特徴だった。最後のだけ、微妙に違うが。

違う人かもしれない。というよりその可能性のほうが何倍も高いだろう。

でも――聞かないなんて、そんなこと出来ない。

もしかしたらアイツは生きているのかもしれないのだから。

「そいつ右腕に傷がなかったか。かなり大きいやつでこう縦に走ってるの」

それは昔遊んでいた時、アイツが秋葉を庇って出来た傷。痛みに顔をしかめながら、アイツが誇らしそうに見せた傷。

弓塚の答えは、その表情で十分分かった。

「どうして……?遠野君の知り合いなの?」

「ああ、親友だよ。俺の自慢の親友だ……」

生きて、いたのか。

たとえ吸血鬼と成っても、生きていてくれたのか。

純粋に、俺はそれがうれしかった。

「で、そいつは今はどこに」

「分からない……会ったのは最初の時だけで、あとは……」

「そう……」

でも生きているのが分かっただけでも十分だ。

「志貴君……」

感傷に浸っていた俺に、弓塚の声が刺さった。その声は緊張に富んだものだ。

「わたし、行かなくちゃ。志貴君はここでじっとしててね」

「じっとしててねって……何をするつもりだ?」

「…………」

弓塚は黙って俺の肩を捕まえた。

そして――

頭が真っ白になった。

目の前には弓塚の顔。

弓塚とキスしていると頭が理解するのに、たっぷり十秒はかかった。

混乱する俺の瞳を、弓塚の紅い瞳が射抜いた。

やられた……

動けない俺をベッドに寝かせて、弓塚は俺の視界から消えて謳い続ける。

「志貴君……ずっと言えなかったけど、わたし志貴君が好きだったよ。

 わたし馬鹿だから……こんなふうにならないと、言えなかった。そんな勇気がなかったもの。

 でもわたしはバケモノだから、ヒトじゃないから、ここでお別れ。

 それじゃあね。ばいばい、志貴君」

淋としたカタチで、凛とした声で。

そう告げた弓塚を、俺はもう見る事は出来なかった。

「ちくしょおおおおおおおおおおっ!!」

返事は、なかった。ただ雨音と、響く俺の声の残滓だけが耳に残った。





Back    Next