そらへの前奏曲 後編




「………………?」
 空腹でへたっている青年の耳に何か重そうな物が落ちる音が届いた。
 陽光に照らされたそれをよく見るとピンク色の小振りな可愛らしい財布であることがわかる。
 それを手に取り、ずり落ちていた体をどうにか起きあがらせると、少女が消えた公園の入り口に視線を向ける青年。
 ふらり、といかにも不健康そうな足取りで道に出る。
「確か……こちらか……」
 向かった先には、アーケードもある商店街が見える。こちらなら通常の飲食店はおろか、露店もちらほら見える。
「……いた……」
 青年の予想通り、アーケードの入り口からほど近く――ちょうど横道にさしかかるあたりの露店――に猫耳帽子の後ろ姿が見えた。
 少女と紙袋の前にはいかつい顔の男性がじっと少女を見つめている。
 対照的に少女はポケットを漁ったり、あまりに挙動不審である。
「きっと……これだな……」
 青年はそっと少女の後ろに近づき、先程の財布を渡そうとした。
 が、
 いきなり、少女が青年に向き直り、そのまま突進してきたではないか。
「ぐふ!」
 身長差のため、水月に少女のほぼ全体重がかかった青年は一瞬のうちに呼吸困難に陥り、その場で崩れ落ちた……。
「うぐぅ……邪魔するなんてひどいよ……」
「ひどいのは……お前だ……」
 と息も絶え絶えに財布を差し出しながら、青年はのたうちまわる……。
「あ、ボクのお財布……どうしてお兄さんが持ってるの?」
「いいから早く金を払って俺に何か喰わせてくれ……」
 ダメージとエンプティに同時に襲われているためか、倒れている青年の顔は青白い。
「うん! おじさん、はい、お金!」
 勢いよく小銭を支払うと、どうにかこうにか少女は青年を起こそうとする。
「大丈夫だ……ちょっと喰わせろ……」
「ダメだよ……落ち着いて食べた方がおいしいよ!」
「死んだらおいしいも何もないだろうに……」
 などと枯死しそうになりながら、青年は遙かに背の低い少女に引きずられるように先程の公園に戻っていった。説得力が悲しいほどにじみ出ている。
 どうにかして、元のベンチに腰を下ろす二人。少女は嬉しそうで、青年はへばっている。
「はい! このたい焼き、ボク大好物なんだ〜」
「ほう……」
 と生返事をしつつも、青年は釣り上げられた魚の目から餓狼のそれになっていた。
「すごくおいしいよ〜」
 と差し出された袋に青年は素早く手を入れた。
 焼きたての熱さにもかかわらず、青年はむんず、と掴んで大きな口を開け食いつき、一つ目のたい焼きをあっという間に胃の中にねじこむ。
「もっとよこせ」
「そういう風に食べると、体に悪いよ……」
 青年の食べる勢いに少々驚きつつも二個目を差し出す少女。そしてそれもすぐに一個目と同じ運命を辿る。
 既に袋の中には孤独に打ち震えるように一匹分の影しかない。そしてすぐに影は虚空に消えた。
「あーーーー!!」
 少女は己の手の中が軽くなっていったのを見て悲しそうに言った。
 だが、その悲しみの対象はすでに咀嚼され、頭半分が消え失せている……。
「ん?」
 細い顔の線を崩さない程度にたい焼きをほおばっている青年が涙目の少女と向き合う。
「ボクの分……」
 少女が物欲しそうに見つめるのは青年の右手――の先にある残り半分となった彼女の好物だった。
「俺の分だ」
 冷酷非情な宣告と共に残り半分も青年の口に消えた。
「うぐぅ……ひどいよう……ボクの分……」
「ひどくない」
 と、青年はにべもない。
「…………」
「…………」
 気まずい空気が流れた。というより、一方通行気味な気まずさだ。
「…………」
 耐えきれないのか、突然青年がズボンのポケットに手を入れる。
 その数秒後に外に出てくると、天を仰いだ青年の手のひらの上で光が鈍くきらめいた。
 やや大ぶりのかがやきを少女に手渡す青年の顔は、とてもとても名残惜しそうだった。
「……これでジュースを買ってきてくれ……釣りは好きにしろ……」
 青年はなけなしの500円硬貨を少女に握らせて、ベンチに体を預けた。
「……本当にいいの……?」
「できれば安いのにしてくれ……」
 うん、と頷いた少女が公園を離れる。
 それからしばらく――具体的には、少女が缶ジュースとたい焼きを手に戻ってくるまでの間――彼は自分の甘さを悔やんでいた。
「おまたせ〜!」
 と少女がウーロン茶を青年に手渡す。思いの外よく冷えていた。
 日だまりの中、二人並んでお茶を飲み干す。少女はにこやかに、青年は少々しかめっ面で。
「ねえ……あのお人形って、どうやって動いてるの?」
 たい焼きをほおばりながら少女が尋ねたのは、ちょうど青年が手の中の缶を空にしたときだった。
「……何と言ったらいいかな……」
 右手でアルミ缶を、左手で例の人形を弄び、答えづらそうにつぶやく。
「俺は人形を操る力――母親は“法術”って呼んでたっけな――があるのさ。ま、信じられないかもしれないけどな」
 と自嘲気味な笑みを浮かべた。
「ううん、そんなことないよ〜。ボク信じるよ〜」
 少女は目をきらきらさせて喜んだ。
「ほう……」
 意外そうな顔で少女の方に向き直った。
「だいたい与太話扱いされるんだがな……。お前……よっぽど素直なのかそれとも……」
 と青年が頭の横で指をくるくる回すそぶりをする。 
「それどういう意味〜!?」
「そう言う意味だ」
 すっぱりきっぱりと断じていた。
「うぐぅ……」
「冗談はさておき……お前はどうしてこんな与太話を信用する気になる? 今時分、小学生でも疑うぞ『絶対何か仕掛けがあるぞ』ってな」
 人形を操る時よりも真剣そうな顔で少女の顔をじっと見る青年。
「え!? どうしてって……、う〜〜〜〜ん……?」
 と言って、本当に悩み出したから青年もじっと少女を見つめるしかない。
 数秒後……少女がぽん、と両手を打ち合わせて、
「だって、お兄さんその……法術っていうのが使えるんでしょ? ボクそういうのってあると思うな」
 と嬉しそうにいった。複雑な方程式を自力で解いた子供のような笑顔。
「……珍しいヤツ……」
 と言いつつ手の中でベコベコにへこんだ空き缶を公園のゴミ籠に放る。カラン、と乾いた音がする。
 その隙を見てか、青年の横で、人形が再び立った。少女は仕掛けを見抜こうとしてか、それとも“法術”を見つけようとしてか再び人形を凝視する。
 やはり人形の回りには何も感じられない。
「すごいね、お兄さん!」
 今日何度目かの歓喜の声と拍手が少女からあがった。
「しかし……俺の“法術”の話をこれまで信じるヤツははじめてだな……」
 人形にお辞儀をさせつつ青年がつぶやいた。
「うん! ……みんな信じないの?」
 本当に不思議そうな顔で尋ねる少女に対して
「当たり前だ。それが――普通だ」
「そう……なんだ……。それって寂しいね……」
 少女の顔が何故か曇り、青年の顔に?が浮かぶ。
「だって……『信じる』っていうのはとてもとても大切なことだとボクは思うんだ。みんなにとっては信じられないことでも、きっと誰かが信じてくれる――それがとても大事なことなんじゃないかな」
「……ねえ、お兄さんは『奇跡』ってあると思う?」
「……どちらかと言えばない……と思う」
 いきなり投げかけられた質問にとまどいの色を隠せないまま、青年は思いを吐露する。
「どうして?」
 まるで青年の返答を予測してかのように二度目の問いが矢継ぎ早に飛んできた。
「どうして、って……そりゃあ……見たことないからな……」
 と答えて青年は、ふと何か違和感をおぼえた。自分の言葉の大きなずれを。
「お兄さんは見えない物は信じられないの? じゃあお兄さんのこの“法術”も?」
 そう、彼の“法術”は目に見えない。だったら――。
「いや……信じるってところまではいかないが……ない、と否定まではできないな」
 彼は自分の意見を撤回した。
「うん……ボクもそう思うよ」
「――じゃあ今度は俺が聞くが、お前は『奇跡』っていうのは何だと思う?」
 青年はベンチに腰掛け直しながら尋ねた。他愛もないやりとりのつもりだった。
「……『奇跡』っていうのは……きっと……『想う力』じゃないかな?」
 少女の言葉には不思議な重みがあった――青年にはそう感じた。少女は独白の様に続ける。
「きっと誰かがひとにその“力”をくれたんだと思う……「こうなりたい」とか「約束を守りたい」とかそういう風に心の底から想う人に起きるささやかなご褒美……かな」
 何気ない一言に青年が反応し、口の中でもう一度繰り返す。
「『約束』……か」


 誰とも知れぬ者が、何時とも知れぬ昔、夏の彼方で交わし、そして彼とその母が――。


「……ゴメン……ボクも上手に言えないや……」
 少女の言葉を聞くか聞かぬかの間に青年はすっくと立ち上がった。
「わわ! ゴメン! 変な話で怒っちゃった?」
 青年の後を追ってか、慌てて少女もベンチから腰を上げる。
「いや、怒ってない。結構面白かったぞ」
 体を伸ばしながら青年はぶっきらぼうに言う。しかしそれが故に本心を語っているようであった。
「うぐぅ……本当?」
「ああ、興味深い意見だな――旅の参考にはなりそうにもないけどな」
 恐る恐る上目遣いに尋ねる少女に、青年は少しだけ優しい視線を向けた。
「お前――結構実感がこもっていたな……。まさか『奇跡』とやらを見たことがあるのか?」
 疑うでもない、からかいでもない――だけど普通ではありえない問いを彼は真剣な眼差しで放った。
「え……そんなこと……あるよ……。ほんの少し……だけどね……」
 何故か少女は顔を赤らめてそう言った。
 青年は何も言わず、ただ「ふーん」という短い感想を述べた。が、少女の答えを信じているか否かは無表情に近い顔からは上手く読みとれない。
「まあ、そういうことがあってもおかしくないか――なあ、どこか人が集まって、俺の芸を見てくれそうな場所は知らないか?」
 寝ていた体をほぐしながら青年は尋ねる。
「あ、それなら、そこの商店街の――。行ってどうするの?」
「お前みたいに物々交換とばかりにはいかないんでね。路銀を稼がなきゃな……」
 わずかながらの荷物が入った鞄と人形を持って青年はベンチを離れようとした。旅人にとって一期一会とはごく当たり前の日常なのだ。
「じゃあな」
 と別れの言葉もそっけない。ただ彼の肩の上であの人形が小さく手を振っていた。そんなことをするのは彼の長い旅の中でもはじめてのことだった。
「うん……その人形も……きっと『奇跡』を叶えてくれるような気がするよ……」
 風は夏の気配を帯びていた。
 誰かの“想い”を空に託すかのように、風が――歌った。
 
(fin)




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