Scene U

 「一体、お嬢様と何があったの霊夢?」

紅魔館の長いのか短いのか、広いのか狭いのかよく分からない廊下を、博麗霊夢は十六夜咲夜と一緒に歩いていく。

廊下がよく分からないのは、横にいるメイド長がいろいろ空間をいじくって、各部屋の行き来をスムーズにし掃除を初めとする仕事をやりやすくする為。

『それならいっそのこと、部屋自体を繋げた方が早いんじゃない』と聞いてみたことがあるが、『それはそれで大変で疲れるのよ』と、全然納得出来ない返答をされてしまってそれっきりだ。

「別に…ただちょっと喧嘩しただけ…。なんて嘘言っても信じないでしょうね?」

「あら…そうと言わなければ、信じた気にくらいは成ってあげたかもね」

 二人とも、冗談も皮肉もいつも覇気がない。覇気のある冗談皮肉もどうかと思うが。

「レミィがああなったのは…私が一週間前、ここに泊まって帰った日からなのよね?」

「ええ…」

 だからこそ咲夜は、あの場で霊夢に全てを任せ…レミリアの部屋の前で待つことにしたのだ。

だが部屋を出てきた霊夢がイノ一番に呟いた言葉。

『ふう、これは…重傷だわ…』

「レミィは多分…あの時私が言った言葉を気にして…」

「え?」

 咲夜が覗き込んだ霊夢の瞳は、わずかに迷いの色を帯びていた。

 

 霊夢が目を覚ますと、そこはまだ闇の中だった。目を閉じても開いても、変わらず見えぬ景色。

自分の目は覚めたのだろうか。本当はまだ眠りという空間内に居るままなのではないだろうか。そんな錯覚すら覚えてくる。

だから霊夢はこれが現実だという証拠を見つける為、仰向けの体勢のまま手で扇を描くようにベッドをさすった。その先にある一つの、肌のぬくもりを確かめる為に。

いくらかも動かさぬ内に、掌が柔らかな人肌に包まれた。

「おはよう…霊夢…」

 闇のその近くで求めていた声が聞こえた。

「おはようレミィ。今の時間がホントにおはようで良いのか、自信ないわね…」

「良いのよ…。私にとっては…起きた時間は何でもおはようなんだから…」

「ふふ…そうね…」

 霊夢には今だ彼女の姿を見ることが出来なかったが、闇を全く不得手としないレミリアなら、霊夢の手を握りしめることくらい何の苦労もしないだろう。

眠りにつく前の事だって、いつも自分は彼女の影しか追えないのに対して、向こうは自分の乱れる様をじっくり観察出来るのだ。

(それってちょっと不公平だわ…)

 レミリアの寝室ではなく自分が住む社、そこならまだ月明かりが彼女の素肌の美しさを教えてくれるのに。

「…この部屋にも月明かりが欲しいわね…」

「え?」

 いきなり変なことを呟いたと、レミリアに思われても仕方がないだろう。

「だって…。私の寝室で寝る時の、月に照らされたレミィ…凄く綺麗なんだもの」

 沈黙。多分闇の向こうで、レミリアがさぞ顔を紅くしていることだろう。そういう可愛い彼女を見る為にも、夜の明かりは絶対に必要だと霊夢は思った。

「そう…。今度咲夜とパチュリーに相談して、いつでも月明かりを取り込める方法を考えておくわ…」

 照れ隠しか。やけに真面目ぶった口調でレミリアが言う。

「そう言って、また霧の時みたいな騒ぎはごめんよ」

「分かってるわよ…」

 言って霊夢は、自分の言った言葉に感慨を馳せた。

幻想郷を包み日差しを遮る霧の事件。霊夢はそれを追う後、この紅魔館に辿り着きこのレミリアと出会い、敵として戦い…。そしてあの日…。

「何考えてるのよ?」

「え?」

「霊夢の目、すごく遠くを見てる感じがしたから…」

 この暗闇でどこに焦点を併せろと言うのか。まあそういう野暮なツッコミは置いておくとして、霊夢はさきほど浸っていた、感慨のその先を話した。

「私がレミィから告白されたときのこと、思い出してたのよ…」

「………」

 かすかな息をのむ音と、唾を飲み込む音が同時に聞こえた。

「覚えてる?」

「もちろん忘れる訳ないじゃない。私の五百年分の勇気を、霊夢ったら冗談としか思ってくれなかったのよね…」

「だって…怖かったもの…」

「え…怖かった…って?」

「私もよって言ってあなたに抱きついた瞬間、びっくりされて冗談よって思い切り振り解かれたりなんかしたら私…わたし…。もう立ち直れないもの…」

 こんなにも思ってる相手に、相手から見たら冗談の領分で済んでしまうことだなんて、残酷すぎるにもほどがある。

「でもそれはレミィにも言えることだったのよね…。あの時私、あなたの気持ちに対してひどい仕打ちをしたわ。自分が怖れていた…まさにその方法で…。だから私は…いきなり噛みつかれて当然だったんだわ…」

 レミリアは自分の告白を信じようとしない霊夢を力で押し倒し、彼女の喉に牙を突き刺した。その日が…霊夢が初めてレミリアに血を吸われた運命の日となった。

「だからなの? あの時抵抗しなかったのは…。私に申し訳なく思ったから?」

「本当に…それだけだったと思う?」

「………」

 レミリアは心の中で首を縦、横、どちらに振っただろうか。

「私は…あなたに血を飲んで欲しかった。私の心の証として…。私とあなたのあの日からの絆。印を刻んで欲しかった。だから…私は…」

「れい…む」

 途端…握られた掌をぐっと引き寄せられた。つられて上半身が起きあがり、身体が何かに当たったと思った瞬間。レミリアの両手が霊夢の背中に回され抱きしめられる。

「怖くなかったの? 私はあなたを、私と同じ吸血鬼にするつもりかも知れないって考えなかったの?」

「私は…レミィのことを信じてるもの…」

「それは違うわ霊夢…」

 肩を掴まれ、レミリアの懐から離された後、すぐ眼前に彼女の顔があった。眼前であることと、ようやくこの暗闇に目が慣れてきたというのもあるだろう。その瞳にわずかに輝く涙がこぼれているのが霊夢には分かった。

「正直に言うわ…。私はあの時本気だった。あなたに冗談とあしらわれて、それなら無理にでもあなたを吸血鬼にして、私の側にしか居られない身体にしてやろう。そう思ってた。

ううん、あの時だけじゃない。あなたに会うたび心のどこかでそう思ってる私が居るわ。いっそあなたが、私と同じ吸血鬼になることを望んでくれないかしら。そう思ってるのよ…私は…」

「………」

「ねえ…霊夢…。もし私がここで、あなたの血を全部欲しいって言ったら、受け入れてくれる?」

 わずかに震える声でレミリアは聞いた。ついに聞いてしまった。

そして霊夢の方は、ついに訊かれてしまった。そう思った。

霊夢がレミリアのことを信じている、そう言ったのは限りないくらいの本心だ。

だが霊夢は人間。レミリアは吸血鬼。二人がそうである以上、いつかは話し合わなければならないこと。絶対避けては通れぬ道だったのだこれは。

そうして…随分長い沈黙が続いた後、霊夢は自分の肩に置かれたレミリアの手に、更に自分の手を重ね、ゆっくりと正確に三度…横へと振った。否定の意志を込めて…。

「ごめんなさい…それは出来ないわ」

「どう…して? 霊夢はずっと私と居るのは嫌?」

 卑怯な言い方だなと思いつつ、レミリアはそう聞かずにいられない。

「そうじゃない、そうじゃないのよレミィ。私だってずっとあなたの側にいたい。あなたを愛して、愛されたいって思ってる。でも、でもね…」

「でも?」

「その手段として吸血鬼になるって言うのは…なにか違う気がするの…」

この時霊夢には、自分の想いを、自分自身にすら納得させる言葉が見つからなかった。

「ごめんなさいレミィ…」

「霊夢…。ううんこっちこそごめんなさい。あなたの信頼を、愛を…試すような事言っちゃって。私も何となく分かるわ、霊夢の言ったこと」

「ふふ…そう? ああついでに、現実問題として結界の事を放っておく訳にはいかないのよね」

「結界って…博麗大結界の事?」

「ええ…。一応私そこの巫女なんだし。責任重大」

 霊夢のずっと先代がその身を人柱とし完成させた、人間界と幻想郷を隔てる強力な結界。それの管理人として、博麗神社に居るのが霊夢である。

もし霊夢が吸血鬼になり、一生陽の当たらない場所で過ごさなければならなくなったら、ずっと神社に居ることはできなくなるだろう。

「責任重大の割には…ついで(・・・)なのね?」

「レミィの事なんかと比べたら…他の事なんてみんなついでよ」

 そう言って二人は、さきほどの真剣さなど無かったかのように、ころころと笑い会った。

 だがその日…霊夢が紅魔館から帰るとき、レミリアが苦笑いを浮かべながら言った言葉。

「あ〜あ…私がもし人間だったら…この日が昇った中、霊夢に付いていってあなたの神社で第二ラウンドが出来るのに…」

「第二ラウンドって…何やるつもりなのよ…」

その言葉を一週間後…霊夢は思い出すのだった。

 

 

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