Scene V
目を覚ますと…いや、それは突然の衝動に、強引に意識をたたき起こされたようなモノだった。
「くっ…かはぁ…。はぁ…はぁ…はぁ…」
全身の奥底からわき上がってくるその衝動に、レミリア・スカーレットは四つん這いの姿勢になりながら、荒い息を絶え絶えにはき出しながら押さえ込む。
「んんっ…ち…血…」
いつもの様なおなかが空いたから、と言う類の吸血衝動ではない。手段としてではない目的としての吸血行為。レミリアが今まで体験したことなの無い狂気じみた感情が、彼女の中で爆発しようと渦巻いていた。
「…だ…だめっ…」
レミリアは喉元を強く握りしめ、肩肘付いてベッドの上にひれ伏す。
なぜ突然こんな事になったのか、レミリアにも分からなかった。霊夢と別れもう一度眠ろうと思い、目をつむり彼女の姿を脳裏に浮かべ、しだいにうとうとし始めたその矢先の事だった。
――バクンッ
心臓が大きく脈打つ。一層強くなる衝動。
血、血。チ、チ。チチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチ…。
チ ガ ホ シ イ
「だめ…よ、ぜったい」
身体の欲求にレミリアは言葉にすることで、衝動を意志で抑えつける。すでに精神的な痛みすら覚えるほどの……。
―ドウシテ?
「っ!?」
どこかで誰かが囁いた気がした。
―吸エバイイノヨ ガマンセズニ。吸血鬼ナノダカラ、好キナダケ吸エバイイ。ダレヨリモ美味シイアノ娘ノ血ヲ…。
声は甘く…優しく、囁きかけてくる。
レミリアは必死の形相で大きく頭を振った。
「ダメよ…特に今は…」
こいつの言うことに従ったら絶対ダメだ。分からないがそんな気がした。従ったら自分は吸血鬼の誇りも意味も、全て失ってしまう。
いや…そんなものよりもっと大切な、霊夢の存在を。彼女の信頼を永遠に失ってしまうだろう。
―アラ…彼女ガホントニアナタノコト 信ジテルトオモッテルノ?
「当たり前でしょう…」
それだけは確信を持って言える。でなければ彼女は、レミリアの牙をその身に受け入れようとはしないはずだ。
―イイエ 違ウワ。
なのにこいつは、あっさりとそれを否定した。
―アノ娘ハ知ッテイルモノ アナタガ同族ヲ増ヤセルホド 血ヲ飲ミキレナイッテ ダカライツモ安心シテアナタニ血ヲ飲マセテクレル
「………違うっ…う、くぁっ…」
心臓が一段強く鼓動した。一瞬堪えきれずにベッドの上に仰向けに転がる。視界に入った天井がぼやけて見えて。そこにあの日の霊夢の幻影が浮かんだ。
『ごめんなさい、それは出来ないわ…』
―アノ娘ハ…アナタヲ…吸血鬼ヲ否定シタ…。
「くっ」
彼女を信じられる言葉を思い出す前に、こいつが邪魔をした。
「黙りなさい悪魔っ!」
衝動を、痛みを、こいつを振り払う為にレミリアは叫んでいた。
そう…こいつは悪魔だ。自分の心の中にある不安その物…。昔パチュリーに読ませて貰った本の中に、心の葛藤を天使と悪魔に疑似して描いてある本があったが、まさにそんなモノだ。
―ソウヨワタシハ悪魔 ソシテ悪魔ハアナタ自身。
「な…私が…悪魔…」
とくん…心臓が、今度は小さく、しかし力強く跳ねた気がした。
永遠に紅き幼き月。紅の悪魔…。それがレミリアを皆が呼ぶ俗称。
そう単なる俗称。そかし俗称ほど…その者の体を現すモノはないのも事実だ。
―ショセン人間ガ 悪魔ト相容レラレルモノデハナイワ…。
「………」
―アノ娘ハ…吸血鬼ニナルコトヲ 吸血鬼デアル アナタヲ拒ンダモノ…。
「………」
違う…。何かが違う。決定的に違う。
しかしその何かを見つけられぬ内に、レミリアの心は紅い悪魔に侵食されていく。
「あ…あぅ…。いっ、いややぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そして絶叫と同時、レミリアの中で何かが弾けた。
――ド、バタンッ
「お嬢様っ!」
「レミィっ!」
絶叫からほとんど間をおかずにやってきたのは、咲夜と霊夢だった。
そして血相を変えた二人の顔色が、さらには引きつる。
「咲夜……。それに……霊夢…」
気分はなぜかすっきりしていた。先ほどまでの痛みは全くない。ただ一つ…押さえ切れぬ、押さえる必要のない『欲求』があった。
ありとあらゆる運命を破壊する程度の、欲求が…。
「霊夢…血…を。あなたの血を頂戴…」
「な…レミィ…」
「神槍・スピア・ザ・グングニル…」
唱えると同時、レミリアの掌で紅い力が生まれた。それは暗やみに包まれた室内を、禍々しい赤で照らし、拡大し一本巨大な槍が出現する。
出現したそれを、レミリアは二人に向かって躊躇無く解き放つ。
「なっ、ちょっと…」
「レミィっ!」
直進する巨槍は咲夜と霊夢の悲鳴をかき消し、紅魔館を包み込む爆音を生み出した。