Scene W

 自分は一瞬意識を失っていたのだろうか?

目を覚ますと、霞む視界に博例霊夢は思い切り頭を振り、周囲を今一度確認する。

 直ぐ横に仰向けに倒れた十六夜咲夜が居た。

「さ、咲夜…」

 幸いにして気を失っているだけみたいだ。あの一瞬では、時間を止めて防御する暇もなかったのだろう。自分だって即席とは言え、良く結界を張り巡らせたと思う。

「そう…レミィは?」

 視線を正面、先ほど吹き飛ばされた扉の奥へ向ける。

 そこに…悪魔が居た。ネグリジェ姿の、愛らしい少女の悪魔が。

「レミィ…」

 ゆっくり立ち上がり彼女の愛称を呼ぶ。

レミリアはゆっくりとした動作でベッドから離れると、わずかに首を傾げ見下すような視線で、霊夢のことを見つめた。それが少女の外見からは考えられほど妖艶で、美しく、恐ろしかった。

最初レミリアに会ったときの彼女からも、外見に似つかぬカリスマを感じたものだが、今の彼女はそれとも違う。何かが…決定的に。

「ふふ…霊夢…。私…お腹空いちゃった…。あなたの血…頂戴?」

「………」

 咄嗟に、無意識のうちに首を横に振った。否定、拒否…。それより大きな拒絶の意志。霊夢の生理的な部分が、今のレミリアを間髪入れずに拒んだ。

「どうして…霊夢。私のこと…嫌い?」

「レミィ…一体どうしたのっ!?」

 何があったか分からないが、今のレミリアは絶対におかしい。今のレミリアは…霊夢が知っているレミリアではない。

 と…その時、

「霊夢〜っ!」

「レミィ、咲夜っ!」

 遠くで聞き慣れた声がした。

「魔理紗、パチュリー」

 声の方を見ると、廊下を走って掛けてくる二人の姿があった。

「霊夢…大丈夫かっ!」

 直ぐ側までやってきた二人の内、魔理紗の方が霊夢に気遣わしげに声を掛ける。

「私は大丈夫…。咲夜も気絶してるだけ。それより…」

 霊夢は視線の先で、二人をレミリアへと促した。

「分かってるわ霊夢…。私たちも少し…気付くのが遅かったわね…」

 パチュリーが咲夜を抱き起こしながら言う。

「久々だな…この感じは…。でもこれはフランの時より、数段やばいぜ…」

「当たり前よ魔理紗。タダでさ化け物並の強さをもったレミィが、フランドール様と同じ能力を持ったんだから…」

「ちょ、ちょっと二人ともっ。それどういう意味なの?」

「詳しい説明はしてる暇ないわ。まずはレミィの事を何とかしないと…」

「………っ」

 理不尽な部分だけ説明された霊夢は、混乱した頭のままレミリアを見た。彼女は部屋の境、扉があった場所で立ち止まり、霊夢と…急に現れた魔理紗、パチュリーを見ている。

その目は…冷ややか、いや冷徹だった。

「あら…パチュリー、珍しいわね。あなたが図書館の外へ出てくるなんて…。でも私は今、霊夢と二人きりになりたいの。用なら後にして貰える?」

 冷たい薄ら笑いが浮いたレミリアの声。それに対しパチュリーは立ち上がり、視線を真っ直ぐに見つめ言った。

「レミィ…多分言っても無駄だと思うけど…。今のあなたは孤独と不安に飲み込まれて、自分を見失ってるわ…。正気を取り戻して…」

「違うわ…。私は…本当の自分の意志に従って、霊夢を手にれたいだけ…」

 レミリアとパチュリーのやりとりの中、すっと霊夢の横に来た魔理紗が、小声で彼女に囁いた。

「おい…霊夢。実際の所…レミリアを助けてやれるのは…お前だけだぜ…」

「え…私だけ…って。それは…私だって」

 レミリア助けたい。いつもの自分が好きな、少し捻くれているが、実は恥ずかしがり屋で、気が優しく、一途な想いを持っているレミリアに戻って欲しい。

今のレミリアは…偽物だ。

「そう…パチュリーも私の邪魔をするの?」

「レミィっ!」

 パチュリーの叫び声と共に、一つの会話が完結に達したようだった。

「私と霊夢の邪魔するモノは…みんな消えてしまえばいいのよ…」

(やばいっ)

 レミリアからわき出す魔力を感じたとき、霊夢は咄嗟に符を取り出し構えた。

だが今日は戦闘しに来たのではなく、レミリアの様子を見に来ただけである。護身用程度に持ってきた符で、どれほど今のレミリアに抗する事が出来るのか。

「紅符・スカーレットマイスター!」

「なっ」

 レミリアが唱えたスペルカードに、全員があっけにとられた。そんなスペルを使うなんて、霊夢までをも殺す気か。

だがレミリアが符を発動させようとした瞬間。

「やめてっ、姉様っ!」

 その場に幼き声が響き渡った。

魔理紗とパチュリーがやってきた方角、少し離れた辺りにいつからそこにいたのか、フランドール・スカーレットが立っていた。

「フラン…」

「フランドール様…」

 気を失っている咲夜を除く全員の視線が、フランドールの方へ移動する。

レミリアは一度発動したその符をキャンセルし、面倒くさげにフランを見つけた。

「あら…フラン、どうしたの?」

「だめだフラン、今のレミリアに近づくなっ」

 ねっとり絡むようなレミリアの言葉と、魔理紗の激がフランドールに飛ぶ。

フランドールは刹那、魔理紗に視線を送ると、分かってると言う風に首を小さく縦に振る。

「姉様…お願い…やめて…」

 そう言いながらフランはゆっくり歩きつつ、その身体をレミリアから霊夢を、いや魔理紗を守るように彼女との間に立った。

「あら…どうしたのフラン、あなたまで魔理紗やパチュリーの味方なの。あなたになら…私の気持ち分かるはずでしょう?」

「ええ…分かるわ…」

 フランの口から出たのは肯定の言葉。しかし彼女の身体は首を横に振り、否定の意を姉に示した。

「今の姉様がどれほど辛く、一人苦しんでるかって事…。いつかの私と同じ様に…」

(………なるほどね…)

 そのやりとりを聞いて、霊夢はレミリアの現状が大凡(おおよそ)想像できた。

パチュリーが言っていた、レミリアがフランドールと同じ力を手に入れたと言うこと。魔理紗がレミリアを救えるのは自分だけだと言っていたこと。

(でも…)

 レミリアを救えるのが自分だとしても、具体的に何をすればレミリアは正気を取り戻すのだろうか?

霊夢の思考を外に、姉妹の会話は続いていく。

「そうよフラン。私は今とっても辛い、苦しいわ。だって…大好きな人が…私のモノにならないんですもの…」

「霊夢はモノじゃない。強引に手に入れても…そんなの楽しくないものっ」

「分からないわね?」

「私も分からなかった。でも魔理紗が教えてくれたもの…。強引に手に入れたモノなんて、何の輝きも無いって。壊れた玩具になるだけだって…」

「フラン…」

 魔理紗が感慨めいた言葉を呟く。

「ふ〜ん…そう?」

 肯定する言葉を用いて、レミリアは妹の言葉を否定した。

「フラン…あなたまで私を否定するのね…。分かった、なら…いらないわ…」

「姉様っ!」

「だめだフラン、速く逃げろっ!」

 一時わだかまっていた彼女の魔力が、感じるだけで威圧感を持つほどに膨れあがる。

「今のままでの説得は無理ね。霊夢っ!」

「な、何?」

 パチュリーに小声で近く囁かれて、すっかり姉妹の方に関心が言っていた霊夢は、ビクリと身体を振るわせてパチュリーを見る。

「レミリアの力は私と魔理紗が押さえるから、あなたは余波を防ぐ結界をお願い…」

「ちょっと…どういう事?」

「魔理紗…あれの用意よ…」

「分かったぜ…」

 霊夢の疑問を無視して、パチュリーは隣の魔理紗と二人、全く同じ印を空に指で描き始める。詳しい説明などしている暇など無いことは、霊夢に分かってはいるのだが。

「ああもう…」

 今手持ちの護身用符でどれだけの事が出来るか分からないが…。やるしかない。

「フランも…パチュリーも咲夜も、魔理紗も…。私と霊夢の邪魔をするなら…。みんな消してあげるわ…」

「………ねえさまっ!」

 言ってフランドールも、いつでもスペルを発動できる体勢に構える。

レミリアの周りに集まる、禍々しいまでも魔力の渦。ついにそれが狂気の形を成した。

「赫符・ストロベリークライシスっ!」

 赫色の弾幕、いやすでに塊と言えるものがフランドールに、その後ろに居る者に発射された。

「禁弾・スターボウブレイクっ!」

 フランドールのスペルと、

「「双符っ」」

 横で魔理紗とパチュリーの声がユニゾンする。

「「ロイヤルスパークっ!!」」

 無数の光りの弾丸は、レミリアのスペルと真っ正面からぶつかり合った。

霊夢はその瞬間を逃さなかった。

「夢符・封魔陣っ」

 激突するスペルの中心を囲むように結界を展開する。だが所詮護身用符、即席で出来る結界などたかが知れている。霊夢の結界はあっと言う間に、超常識な三つのスペルの威力に吹き飛ばされようとしていた。

(やっぱり…だめ…)

 とその時っ!

「えっ?」

 不思議なことが起こった。霊夢の耳に一切の音が聞こえなくなっていた。

それだけではない。目の前で起こっている全ての出来事が、まるで絵に映し描いたようにその動きを止めていた。

まるで(・・)()止まった(・・・・)()()様に。

そこで一つの事実に気付き、霊夢は横で未だに倒れ伏す咲夜の方へ目を向ける。

彼女はうっすらと目を開けて、霊夢のスカートの裾を掴むと、弱々しく微笑みかけてきた。

「ありがとう咲夜…」

 簡単な言葉に精一杯の感謝の意を込め、霊夢は新たな護符を取り出した。

例え護身用符でも時間を掛けて念を注入してやれば、より強力な結界を作ることが出来る。今の咲夜の状態を考えると、それほど長い時間は時を止めていられない。

時が動き出すまでに、出来る限り強力な結界を作り出す。

「………………………」

 そして世界に色が戻った。

「神技・八方鬼縛陣っ!」

 新たな結界が、赤と銀色と、その他いろいろ混ざり合ったモノを包み込んだ。

「よし、さすが霊夢だぜ!」

「礼なら咲夜に言ってよ!」

 魔力的な力関係なら、これでもレミリア達が放った魔力に及びようも無いが、こっちは対象を縛る事を前提に作られた防御符である。封魔陣の相乗効果もあるからなんとか耐えてくれるだろう。

 だが…レミリアとの間で魔力の渦がひしめき合う中、霊夢は見た。レミリアがうっすらと笑みを浮かべるのを。

「ふふ…。解放・ブラッディクライシス」

 レミリアはどこか淡々と呟いた後、指を鳴らした。

その瞬間、結界の中の紅い塊が膨張したかと思うと、黒く弾けた。

「なっ」

 一瞬短く呻いた言葉は誰のモノだったのか。もしかすると自分自身だったかも知れない。

結界が粉々に破られると同時、霊夢は自分の身体が高く浮き上がるのを感じた。

 

 

 

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