別になんという事もないある日の午後。
幻想郷の紅魔館、その一室でフランドールはおやつのケーキを一人食べていた。
ケーキは彼女の大の好物。しかしそれを目の前にして、彼女の顔はどうにも憂鬱そうである。
沈んだ視線の向けられた先。それは館の外の風景を見せる窓。
ガラスを挟んだその向こう側では、暗い色の空から無数の雨が線を描いて流れていた。
雨。それは吸血鬼である彼女にとっては天空から連なる檻に等しい。
ケーキにフォークをさしながら、ため息を一つ。

「たーいくつー……咲夜はいそがしそうだし、パチュリーは図書館に閉じこもってるし……お姉様は昨日から紅白のところだし」

姉は神社に二泊決定。最近、なんだかんだと理由をつけて神社を離れないから、この雨なら今日も帰ってこないだろう。
三泊にならないことを祈りながら、刺したケーキをぱくりと食べる。
ケーキはおいしい。咲夜の持ってきたケーキがおいしくなかったことはない。
でも……つまらない。

「お姉様はあんな紅白のどこがいいのかな。魔理沙だってあいつのこと、よく話すし」

自分で言った言葉に手が止まる。カタン、とフォークを置いて、ため息をもう一つ。
言葉にすると余計想いが強くなる。だから言葉というのはよく考えて使わなければならない。
そんなことを言っていたのはパチュリーだったか。
そう教えられたときは実感がわかなくて、ただそうなのかと思うくらいだった。使い分けるべき場合も、使い分けるための言葉も知らなかった。

「魔理沙……」

だが実際にその場に遭遇すると、その重さがよくわかる。
気持ちというのはたぶんいつもどこかにたまっているものなんだろう。だから言葉にしてしまえば、栓が抜けて一気にあふれ出してしまうんだ。

「会いたいなぁ……」

窓を見る。雨、降り続く雨。
これでは彼女からこの紅魔館に来ない限り会うことはできない。
もし雨さえ降っていなかったら、例え姉がいなくても魔理沙のところに遊びに行くことも出来たのに。

「雨なんて、キライ」

それがフランドール・スカーレットの、彼女を閉じ込める雨への偽りない気持ちだった。








雨に対するスカーレット姉妹の見解 〜 Sisters in the RainyDay








雨音に目が覚めた。
ゆっくりと目を開く。
寝ぼけた思考に一つの疑問が浮かぶ。

──ここ、どこかしら……

レミリアはいつもと違うベッドの感触に重いまぶたをこすった。
瞳に映る、畳に土壁という紅魔館にはない風景。紅魔館にこそないものだが、それは最近の自分にとっては見慣れた光景だった。
博麗神社の霊夢の私室。それがこの部屋。
それで自分が昨日博麗神社に泊まったことを思い出した。泊まって霊夢と――

「……まあ、今更恥ずかしがるような仲じゃないけれど」

昨日の夜を思い出し、苦笑する。
肝心の霊夢の姿は布団の中にはない。ただかすかに残る体温と残り香が、彼女がついさっきまで自分と同じ場所にいたのだと告げていた。
もうしばらくこの彼女の気配を残す布団に包まっていたいような気もするが、それ以上に彼女の顔を見たくなった。
布団から抜け出し、服を着る。雨のせいか、気温は随分低くて吸血鬼な彼女でさえ、素肌のままでは少し寒く感じた。
手早く身繕いして、神社の主の姿を探しに出る。
見える範囲には霊夢の姿はない。でも、漂ってくる匂い。これだけで彼女がどこにいるか簡単に分かる。
私は迷わずキッチン──というか台所の方に向かう。
果たして彼女はそこにいた。巫女はトントンと小気味よい音をさせて包丁で何かを切っている。朝食の準備だろう。
と、こちらの気配を察したのか、彼女は振り返った。

「おはよ、レミリア。もう五分くらいで朝食が出来るわよ」

言いつつ再びトントンと包丁を動かす。
頷きながら、ちらりと目を彼女の首筋にやる。
昨日あんなにキスしたのに、それは雪のように白かった。少しだけ残った牙の跡だけが赤く浮いている。

「……もう少し、しておけばよかったかしら」

その時の霊夢の、嫌がるような欲しがるような、艶のある貌を思い出して呟きながら畳敷きの六畳間に正座する。
その動作は自然で、我ながらずいぶん慣れたものだと苦笑した。それは彼女と会う前は想像もしなかった生き方である。そもそも正座なんてものを知らなかったのだ。

だからと言って、今までの紅魔館での生き方を否定するわけではない。それはそれで十分楽しかったのだ。
ただ、あれから少し視野が広くなったということ。そしてもうひとつ、自分にとって大切なものが加わったということ。
そう考えれば、あの霧もあながち悪い事ではなかったようだ。少なくとも、昼間楽に出歩く以上のものを手に入れられた。
ならばむしろ、成功したと言ってもいいのではないだろうか。

「ん、どうかした?」

物思いにふけっていたところに声がかかる。何時の間にかテーブルの上には朝食が並んでいた。
朝食といっても霊夢の分だけである。私の前の皿盛り付けられているのはフルーツ類と薔薇の花が一輪だけ。しかし私はこれで十分。
薔薇の花をつまみながら、霊夢の問いに答える。すこし口の端に笑みを浮かべながら。

「なんでもないわ、ちょっと夜のこと思い出してただけ」
「なっ、なにをいうのよっ」

私の一言に、顔を真っ赤にする霊夢。
初めての夜の後も、もう何度も逢瀬を重ねた今日になっても、彼女は変わらない。

「冗談よ、食べましょう」
「もう……あんたの冗談はタチが悪いのよ」

ふぅ、と疲れたように霊夢はため息をついて箸を取った。

彼女は分かっているのか、分かっていないのか。
今この瞬間も、昨日の夜も、彼女と親しくなってから今までずっと。
私は彼女の首筋に深く深く牙を突き立て、彼女に流れる暖かい血を吸い尽くし、私の血を流し込みたいと思っているのに。
もうこれから、私と同じものとして、私と同じ場所でしか生きていけないようにしてしまいたいと思っているのに。
ずっとずっと、ただ私だけを見て、私と一緒にいて欲しいと思っているのに。
全く暢気なことだ、と笑う。
あなたを狙っているのは運命を操る吸血鬼。それを隣にしてどうしてそう平然と笑ったり眠ったりできるのか。
呆れを通り越して、笑ってしまうではないか。

しかしまあ、当面は大丈夫。
彼女の隣にいる理由には事欠かない。だからまだ我慢できる。
我慢できなくなれば──そのときは、そのときだ。
本気で押し倒せば案外あっさり了承してくれる可能性もないわけではないだろう。
少なくとも、私は諦めるつもりはない。諦めなければ、いつか機会は来るのだ。

「雨、止まないわね」
「……困ってるようには見えないけど」

半眼でこちらを見る霊夢に笑いかける。

「困ってないもの」
「嫌いなんじゃなかったかしら?」

聞き返す霊夢。
苦笑いしながらというあたり、答えがわかって聞いているのだろう。
それでも聞くのは、私の口から言って欲しいからだろうか。
だとしたら、可愛い事この上ない。もちろん言ってあげようじゃないか、その答えを。

「今はそうではないわ。少なくとも、あなたといる理由になるもの。
 この雨の中、帰れなんて言わないでしょう?」
「……時々、そう臆面もなく言えるあんたがうらやましいわ」

霊夢は頭痛をこらえるように額を抑える。
その様子をひとしきり笑って、レミリアは彼女の隣に座った。

「私も言うだけじゃなく、聞かせてもらいたいのだけれど?」
「恥ずかしいから嫌よ」

即答された。一秒とおかず返された。そんなに嫌か、博麗霊夢。
だが、これくらいでめげるようでは彼女とは付き合えない。
恋路には時折押しの強さも大切なのである。
上目遣いに彼女の顔を見つめ、囁く。甘く甘い毒を注ぐ。

「恥ずかしさに負けるくらいしか、あなたは私を思ってくれていないという事かしら?」
「────っ!」

ものすごい顔で霊夢が睨んでくるが、涼しい顔で受け流す。
だがそんな真っ赤な顔で睨まれて、だれが恐怖を感じよう。こちらとしては全く苦痛にならない。ただ可愛いと思うだけだ。
そうしているうちに彼女は俯いて──

唇をふさがれ、口内を蹂躙される感覚に酔いしれる。
それにしても言葉にできないから実力行使とは、ずいぶん霊夢らしい。
押し倒されたまま、こちらも彼女の唇を味わいながら、ふと窓の外を見やる。
降る雨。降り続く雨。止まない雨。
季節特有の、しとしとと霧が降るように降り続く。
嫌いな雨。嫌いだった雨。
しかし、例えうわべだけの理由だろうと、彼女が傍にいてくれる訳になるのなら。
それは私の敵ではない。

「雨も、いいものね……」

離れた唇の間から、かすかな吐息が漏れる中。レミリア・スカーレットは小さく呟いた。





◇  ◆  ◇  ◆  ◇




雨に包まれた紅魔館。
フランドールはケーキを食べ終えて、今は本を読んでいる。
前は──地下室では本を読むなんてほとんどしなかった。あったとしても咲夜が持ってきた本だった。
そんな彼女が本を読むようになったのは、黒い自称普通の魔法使いのためである。


魔理沙に自分の全ての弾幕を打ち破られ、受け止めてもらい、その孤独を癒してもらった。それが彼女の力の制御にも繋がった。
そうして地下室を出られるようになった彼女が、まず教えてもらったのが“本を読む事”だった。

──お前が知ってること以外にも、まだまだ楽しい事がいっぱいあるんだぜ? だからそれを探してみな。

そう言って魔理沙はフランドールにたくさんの本を持ってきた。
それは保存の良い図書館の本ではなかった。ページの端は擦り切れてるし、ちょっとした汚れがあちこちにある。
だが、あちこちに直された跡があり、大切にされてきたと思わせる本だった。

──私が子供の頃読んでた本だ、預けるから大切にしろよ?

と、そんな本を山ほど彼女の部屋に置いていって帰っていった。次々と本を廊下から運んでくる様は魔法のようだったし、運んでくる彼女自体は嵐のようですらあった。
後に残ったのは、積みあがった本を首を傾けて見つめるフランドールと、積み上げられた本自体と、帰る時に魔法の光芒に吹き飛ばされたと思わしき門番の、長く長く残響する悲鳴だけである。

こんな本を積み上げて、一体私にどうしろというのか。本なのだから読めばいいのだろうけれど、どれから読めばいいのだろう?

全くさっぱり分からない。ルールが何一つ飲み込めない。
読んでもらうことはあったけれど、自分で読むなんて初めてだ。
どうすればいいのだろう? どうやればいいのだろう?
何も分からなくて、フランドールは本と聞けば最初に浮かぶ人物──パチュリーを訪ねた。
彼女は私が訪ねてきたことに驚き、次に部屋に積み上げられた本というか山を見て呆れた。

──ものには限度があるわ。魔理沙はちゃんと考えてるのに、何故暴走するのか理解できない。

深々とため息をつきながらパチュリーはそんなことを言った。意味はよく分からなかった。
彼女はすべるように本の背表紙を見ていって、いくつかの本を抜き出した。といってもまだ十数冊ある。
それを部屋にある本棚に仕舞って、パチュリーは振り向いてこう言った。

──本当は言うべきではないけれど、魔理沙も魔理沙で無茶が過ぎるから言っておきます。

そう言われても何のことだか分からない。疑問符だけが増えていく。
そんなフランドールにかまわずパチュリーは続ける。

──妹様……ああ、この呼び方も魔理沙は好きじゃなかったわね。フランドール様、どの本を選ぶかは貴方が決めるんです。

選ぶ? 私が? どうやって?
まだたくさんある。そこからどんな風に選べばいいのか。

──好きに決めればいいんです。魔理沙はもう貴方を一人前と認めているから、貴方に選択肢を出したんですよ。

ああ、こんなの柄じゃないわよ。そう言い残して本棚以外の本を魔法で浮かせて持っていきつつパチュリーは部屋を出た。
パタンとドアが閉まる。わたしはイスに座ったまま、本棚に並んだ本を見つめていた。
考えたこともなかった。自分で選ぶなんて。
いつも他の人が用意してくれたもので満足していた。だから──私はそれに甘えていたんだ。
魔理沙は私を一人前だと認めてくれている。だから──私に選べという。自分で決めて、行動するべきだと。
すこし、手が震えている。踏み出す一歩を恐がっている。
でも後戻りも、立ち止まることもできない。やりたくない。前を歩く黒い帽子に、いつか──いつか手を届かせたいから。
パチュリーがしたみたいに背表紙に目を通して、一冊の本を取った。
理由はとても単純で、タイトルが気に入ったからだった。でもその単純さが、なにより大切な気がした。
その本のタイトルは「魔法使いの弟子」。
それが彼女の最初の一冊だった。


左に積み上げた本は高く、逆に右手には一冊の本もない。
そろそろ図書館に次の本を取りに行かなければならないようだ。
最後の一冊をパタンと閉じて、読み終えた本を持ち上げる。
彼女は物を破壊するする力はあるが、腕力が強いわけではない。一気に持っていけるのはせいぜい八冊だ。
よいしょ、と持ち上げて先に開けておいたドアから出る。
紅魔館は外見も大きいが中はさらに大きく広い。時間やら空間やらを操るメイド長がいろいろ工夫しているからだ。もしかしたら平行世界への扉をそのうち開くかもしれない。だんだん人間離れしていく気がする。悪魔の館だからだろうか。
ともかく、そういうわけで空間的に弄られた紅魔館は、あちこちに抜け道がある。目的はおそらく掃除の移動時間短縮だろう。
その一つを使って図書館へ行こうとしたとき、向こうから黒い影が空を走ってしてきた。

「よう、フラン。図書館にいくのか?」
「魔理沙!」

今日は会えないと思っていた人が、目の前にいた。
本を放り出し、魔理沙に抱きつく。

「魔理沙〜!」
「おおっとっとっと」

魔理沙は抱きつかれてよろめきながら、空中の本を器用に捕まえていく。

「危ないぜ、フラン。本に何かあったらパチュリーが恐いぞ」
「あー……ごめんなさい」

前に一度怒られた経験から、フランドールは素直に謝る。

あの本屋は、一時間も二時間もただひたすら滔々と説教してくれるのだ。その間、こちらに発言権はない。
もしそんな事をすれば喘息もわきにおいて、あの知識の塊は言葉の弾薬庫から無数の武器を取り出し、徹底的にこちらの殲滅にかかるのだ。しかも説教自体も一時間伸びる。
その上スペルカードまで封じてくれるのだ。もうダメダメである。陰湿すぎるぞ日陰の魔女。
まあ、そんな過去は置いておき。

「魔理沙、こんな雨のなかどうしたの?」

来てくれた嬉しさを隠そうともせず、フランドールは魔理沙に尋ねる。
魔理沙はにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、

「何、ちょっと研究に必要な本があってな。借りに来た」

その答えに、フランドールの表情が曇る。
なんだ、わたしに会いに来てくれたんじゃないのか。
そういう思考が透けてどころか、まるきり見える。
そんな彼女の素直さに、魔理沙は笑って、

「冗談だよ、お前に会いに来たのさ。雨で寂しがってるだろうからな。それで霊夢のトコに、まだレミリアが居座ってるだろうし」

この前なんか、いくなり霊夢に面と向かって帰れって言われたんだぞ、弾幕付で。とか魔理沙は言っているが、フランドールは半分聞いていない。
ぎゅう、と抱きしめた腕に力をこめる。嬉しくて嬉しくて、言葉にならない。
気持ちって不思議だ、言葉にするだけじゃなく、言葉にされても溢れてくる。
でもその不思議さが、とても気持ちがいい。
魔理沙はフランドールの頭を軽くなでてから、本を紐でくくりつけ、前を向いて箒の柄を握りなおす。

「さぁ図書館まで飛ばすぜフラン。しっかり捕まってな!」

言葉どおり加速していく世界。紅色の館を駆け抜けていく。
眩暈がするようなその風景の中、窓の外は雨。
だがもう雨も嫌いじゃない。
雨が理由で魔理沙に会えた。なら雨を嫌いになる理由がどこにある?
またいつか、雨と共に魔理沙が来ることを考えながら、フランドールは落とされないようしっかりと魔理沙に抱きついた。








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